こういう変なTweetに反応があるから、よくわからない。
ちょくちょく「個別最適化」という言葉への嫌悪感を書いていますが、もっと嫌いな言葉があります。それは、「一人一人に寄り添う」です。こういう「実現不可能なのに、正しそうな顔をしてのさばっている言葉」が、教員を苦しめると同時に、質を下げているんだと思っています。
— 高橋 尚幸 (@naotaka007) 2020年11月10日
このTweetは
「高橋先生は、一人一人に寄り添った教育を目指しているんですか?」
と聞かれて
「いいえ」
と答えたのを思い出して書いた。
一人一人に寄り添う。
果たして、そんなことを実践できている教員が、存在するのだろうか。存在し得るのだろうか。
一人一人に寄り添うなんて、私には無理だ。
私は、できないことはできないと言う。寄り添うなんてことは、そんなに簡単じゃない。教室の子供は30人。私は一人。無理だよ。
だから、子供たちが寄り添い合うようなクラスを作りたい。中には、人に寄り添われるのが苦手な子もいるだろう。が、面白いもので、組合せ次第で、寄り添われてもいい相手がいるのも、何度も見てきた。もちろん、とことん苦手な子もいるだろうけれど、それでも、より良い距離感を試行錯誤しながら探っていくと言うか、作っていくと言うか、それは子供たちに任せるしかない。その方が、私一人でやるよりも、可能性を感じる。
無理なものは無理だと認めるから、現実的な解決策が生まれていくのではないだろうか。
皆さん、認めましょうよ、無理なものは無理だと。認めた上で、それでも前に進んで行く。それが私の生き方です。