『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

テスト分布表と「かわいそう」

私の実践で特に批判が多いものの一つに「テストの点数分布表」がある。

流動型『学び合い』の授業づくり: 時間割まで子どもが決める! (教育単行本)

の100ページに載せたものだ。これは、西川先生がTwitterやブログに書かれていたことを元に、私なりに考えて取り組んできた。

簡単に言えば、子供たちの市販ワークテストの点数分布を棒グラフにして、子供たちに示すのである。テスト結果は、平均点よりも分布にこそクラスの状態が現れる。ポツンと点数が低い子がいたとすれば、クラスの中で「見捨てられている」ことが分かってしまう。

これに対する典型的な批判は

「下位の子がかわいそう」

というものである。つまり、点数が低い子の気持ちを考えるべきだ!ということだろう。

この手の批判に対して、私の元同僚のO先生が以前、こんなことを言っていた。

「かわいそうと思うあなたの、その気持ちがかわいそうです」

伝わるだろうか、この言葉の意味が。

 

この本では、例として、最低点数が30点のグラフを出した。

それは、「その子」が30点なわけではない。「その子のテスト」が今回は30点だったというだけだ。さらに言えば、「その子のテストが30点」ということは「そのクラスのその単元の学びが30点」だったのだ。そして「私の授業の結果が30点」なのだ。かといって悲観しなくていい。クラスがゆるく繋がっているならば、全体が伸びていく中でその子も伸びていくのだから。

「次のテストに向けて、みんなでがんばろう。テストなんて何回もやるんだから、次は上げていこうよ!」

でいい。

そして、点数を隠したところでその子にとって良いことはないと、私は思っている。見せ方は、タイミングとか言葉とか、ケースバイケースで色々と考えるけれど、隠しはしない。その子にとってプラスになるのは、隠すことではなく、隠す必要のない点数を取れるようになることではないだろうか。

 

あのグラフは書籍に載せるために作った架空のものである。

実際はどうなのか。現在のクラスのことなので詳細は書けないけれど、12月現在、国語・算数の市販ワークテスト全部の平均点は、最も低い子で73点くらい。今年は2年生担任なのでグラフは見せていないが(棒グラフの見方や意味を説明するのが面倒くさい、という私の手抜きである)、点数の話はよくする。73点でもかわいそうだろうか。私はそうは思わない。苦手な教科で時には低い点数を取ってしまう場合もあるけれど、時には80点・90点も取れる。だから平均が70点を超えるのである。この状況に対して、私は「すげー。このクラスすげー。あなたたちを尊敬します」って心から伝えている。だって、私が一人で教えていたらできないことを、みんなの力でやっているんだから。
と書くと「うちのクラスには、あんな子やこんな子がいるんです。あなたのクラスとは違う」という声が聞こえてきそうだけれど、でも、市販テストなんて、「運」だけで50点くらい取れるテストも多い。あと50点はある程度の理解も必要かもしれないけれど、その内の半分が当たれば75点なんだもの。それさえも「無理」とは言わないであげて欲しいな。それも無理だと思って仕事をしていたら苦しいだろうな。その思いを若いO先生がストレートに言葉にしたものが「かわいそうと思うあなたの、その気持ちがかわいそうです」なのだ。
私なら何て言うかな。

「こっちがやれると信じていれば、やってくれるものですよ、子供たちは」

だろうか。でも、これは強者の言葉かな。苦しんでいる先生を苦しめる言葉かな。でもさ、子供自身が「俺には無理」と言っても、親でさえ期待をしていなくても、担任だけは「できるよ!伸びるよ!これからが楽しみだよ!楽しもうよ!」って言ってもいいんじゃなかろうか。

 

もちろん、そう思えない状態があることも、想像できる。けれど、そうであっても

「下位の子がかわいそう」

なんて言い方は悲しい。私に対する批判は受け止められる。
でも、この言葉は、ある種子供のせいにしちゃっているようで、そうしたくなる状況があるのだと考えてしまい、私はたまらなく悲しくなるのです。