学級を荒らしてしまう担任も、
学校を荒らしてしまう管理職も、
自分の立ち振る舞いが荒れの原因になっていることには無自覚なのだろう。
だから私も、自分が無自覚なまま荒らしていないか、時々立ち止まって考えるようにしている。すると、改めるべき点が次から次へと見つかってしまう。自分のセンスの無さが嫌になる。
同時に、無自覚なまま学級や学校を踏み荒らしている人を見ると、悲しくなる。以前は、よく怒っていたが、怒りの時期は過ぎた。怒りの次に訪れたのが、悲しさだったのだ。
私は悲しい。
荒廃した学校で、傷付く子供たちや教員の姿が悲しい。それに気付いていながら、手が届かない無力な自分も悲しい。
そして、その姿は、そう遠くない未来の自分の姿かもしれないのだとふと考えると共に、既に自分がそうなっていることに無自覚なだけかもしれないと、恐ろしくなる。