『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

本当の姿は普段の姿

小学館から著書を出してもらっているので書きにくいのだけれど。
ドラえもんが嫌いだ。

詳しく言うと、ドラえもんのジャイアンが嫌いだ。

もっと詳しく言うと、映画のドラえもんのジャイアンが嫌いだ。

できるだけ正確に言うと、映画のドラえもんのジャイアンは原作と違って優しくて頼りになって、それをもって「ジャイアンって本当は良い奴」と評する人が嫌いだ。普段は意地悪なのに時々優しいジャイアンを「本当は優しい」なんて思わない。本当に優しい人は、普段から優しい人だ。

まあ、どうでも良い話だけれど。

 

でも、教室でも似たようなことが多々あるのは、「どうでも良い」とは言えない。

普段はちゃんとやらない子が、たまに真面目にやると「本当はやればできるんだよね。偉い!みんなで拍手!」なんて誉められている姿を度々見る。

いやいや、拍手を送るべきは、普段から真面目にやっている子だ。

苦手なことを頑張った子に対して、誉めてあげて何が悪い、と怒る人がいるかもしれない。でも、それとはちょっと話が違う。教員が心から「これは誉めてあげたい」と思っているのではなく、「あ、ここでこの子を誉めて、モチベーションを上げてあげよう」というコントロール欲求で誉めることが、学校の中で何と多いことか!そして、そのコントロール欲求を子供に利用されている教員がなんと多いことか!

一部の子は見抜いている。運動会や学習発表会の練習は下手に参加すると叱られるが、全く参加せずにふらふらし続けるとだんだん怒られなくなる。そして、本番直前だけ練習に参加すれば何とかなる。その上、先生に「本当はやればできるんだよね」と誉められる。先生なんてちょろいもんだぜ!

普段の授業でも下手に勉強すると放っておかれるが、授業に全く参加しない方が構ってもらえる。その上、テストの時に騒ぐとヒントを教えてもらえる。先生なんて本当にちょろい!

ちゃんとやれる子は、ちゃんとやって誉めてもらえるからいい。でも、それができない子は、不真面目な方が得をするからどんどん不真面目にやるのだ。

不真面目な態度で生活する方が得をするクラス。

 

そんなルールで学級経営をしていくのは、私には無理だ。

私は、2年生相手にもはっきりと言う。

「いつもはちゃんとやらないのに、時々真面目にやると『○○さんは、今日、こんなに頑張りました!偉いね!拍手!』なんて言って誉めることを、私はしないよ。偉いのは、いつもちゃんとやっている人です。そして、人のためになることをやれる人です。だから、普段からやっている人を、みんなでちゃんと見ているんだよ。頑張っている人を見つけるんだよ」

できないことは悪じゃない。自分の限界の中でやれることをやっている人を、例え小学生であっても、私は尊敬する。

そんな価値観を伝えると、力強く頷きながら聞いてくれた子が何人もいた。

そして、同時に言う。

「やればできるとか言って、ちゃんとやらないでいると、できなくなるよ。やればできるなら、やらなくちゃ」

やれたら、別に全体の前で誉めたりはしない。

「俺は分かっていたよ」

と伝えるだけだ。

本当の姿は普段の姿。もちろん、例外はあるけれど、でも、それが私の基本スタンスである。