『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

そんなもんですよ。

教員ではないAさんという方が、私の授業を見て、気に入ってくださったことがある。Aさんは褒めてくださったが、私は

「いやいや、私の授業が大したことないのは、私自身がよく分かっています。だから、毎年、授業を変えるんです。同じ授業はしません」

という話をした。そして、

「初任者の頃は、本当に糞みたいな授業をしていました。基本的に、初任者の授業なんて酷いもんですよ。そこからスタートするんです。そこからコツコツとやってきましたが、まあ、今でも五十歩百歩です」

と続けた。私のような凡人とは異なる才気あふれる方々は別だろうけれど、でも、ほとんどの初任者の授業が酷いものだと、私は本気で思っている。だから駄目だ、とは言わない。どんなに未熟でも、酷い授業でも、本気でやれば何とかなる。根性論や精神論は好きじゃないが、やっぱり気持ちって通じるものだと思う。

 

さて、その後しばらく経って、Aさんにこう言われた。

「高橋先生が、初任者の授業なんてだいたいは酷いものだと言っていた意味がよく分かりました。実は…」

話を聞くと、Aさんの娘さんの授業参観に行ったそうだ。担任の先生は、初任者。なるほど、これは高橋が言っていた通りだな。酷いもんだ。そう感じたそうだ。

私は「そんなもんですよ」と答えた。そして、「でも、若い先生は、子供たちと試行錯誤すればいいんです。それが子供たちを伸ばしますから」

と続けた。

 

初任では四苦八苦しても、2年目は少し余裕ができる。でも、それは学校の流れが分かったことによる効果に過ぎない。腕が上がったわけじゃない。そこで満足して3年目、4年目に伸び悩んでいる教員を何人も見てきた。

そのまま30代になり、立ち振る舞いだけ中堅になって、中身は若手と同水準なままな教員も何人も見た。

 

と言っている私だって、怪しいもんだ。自分が大した教員じゃないことは私が一番よく分かっている。だからこそ、学ぶしかない。

教員集団なんて、基本的には同質集団だろう。才覚や能力に大きな差があるとは思わない。差が出てしまうとしたら、満足するか、しないかじゃなかろうか。

もっと良い教育とはどんなものか。

もっと良い先生とはどんな先生か。

もっと良い教育を行うにはどうすればいいか。

もっと良い先生になるにはどうすればいいか。

そもそも、良い教育なんてあるのか。良い先生なんているのか。

考えれば考えるほど、分からなくなる。分からないが、あきらめたくはないし、あきらめるつもりはないけどね。

 

 

ちなみに、「初任者だけど、酷い授業なんかしてない!」という方、ぜひ、ご連絡ください。授業を拝見したいです。私の勉強のために。宜しくお願い致します。