『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

指導はエスカレートしていく。

指導は、段々とエスカレートしていく。そういう定めにあると思うようにしている。

 

例えば、“叱る”指導。最初は「一発怒鳴ると静かになる」クラスでも、何度も繰り返すうちに担任の怒鳴り声に慣れてくる。どんどん怒鳴り声を大きく、長くしていく必要が生まれ、場合によっては机や椅子を蹴ったり、黒板を叩いたり。そんな“失敗”を若い頃にしたし、同じようなケースを度々目にする。

堀さんのこの指摘の通り、怒鳴ることは、徐々に通用しなくなっていくのだ。

堀 裕 嗣 on Twitter: "世の中では、様々な教育技術が教育書やセミナーで紹介されています。その中に教師に怒鳴ることを奨励するものはおそらく一つもないでしょう。それは生徒たちを怒鳴って制止することが長い目で見ると効果が上がらないからなのです。"

もしかしたら、体罰をしてしまう教員は、叱り過ぎ・怒鳴り過ぎて、止められないほどにエスカレートした結果なのかもしれない。

 

じゃあ、他のことはどうだろう。

“誉める”指導も、段々とエスカレートしていくだろう。あの事を誉めたのだから、この事も誉めなくてはいけない。あの子を誉めたのだから、この子も誉めなくてはいけない。そうやって誉める必要性が増していく。しかし、これが難しい。むしろ逆に、最初は勢いこんで針小棒大に誉めていたのが、徐々に誉め忘れてしまうことの方が多いのではなかろうか。

“教材研究”で子供たちを引きつける指導も、エスカレートしていくのだと思っている。知的な授業の味を知った子供たちは、もっともっとと求めてくる。もちろんそれは好ましいことだけれど、それに応え続けるのは簡単なことじゃないだろう。

私の場合は、言わば“任せる”指導である。任せることもエスカレートしていく。一度「任せる。あなた達ならできる」と言ったからには、任せ続けなくてはいけない。自信をつけた集団のやる気を持続させるには、任せる範囲をどんどん広げていく必要が出てくる。私にとっては大歓迎。でも、手放すことが怖い教員も多いということを、私は知った。45分どころか、一単元任せても、数か月任せても、その中で多少のトラブルはあるけれど子供たちはやれる、と私は考えている。しかし、45分を任せるのも怖い人もいる。それはもしかすると、2mの高さを怖いと感じる人もいれば、10mでも20mでも平気な人がいるのと同じように、人の感覚の違いなのかもしれない。どちらが正しいとか優れているとかじゃなく、人類が生き残るために必要な多様性なのだろう。

 

誉めるにしても、教材研究にしても、任せるにしても、何かを指導の軸にするなら、それがどんどんエスカレートしていくことを頭に入れておくべきだ。最初から精一杯の無理をしてしまうと、直ぐに息切れする。それを私は、『学び合い』の3か月の壁と呼んでいるし、多くのクラスが6月や11月くらいに荒れる原因だろうと分析している。

そうならないために、教員が本当に大切にしたいことを軸にして指導していくこと、すなわち、「在り方」が大切なのだ。また、なかなか落ち着かないクラスの担任は、大切にしたいことが定まっていないように見える。そうは言っても、若いうちは、軸なんて定められなかった。私は、先輩の指導を見たり、本で読んだりした「借り物」を軸にして(そして、ぶれて失敗しながら)、自分に合うものを探し、それを骨格にして、肉付けをし、今までやってきた。皆が同じ道を辿る必要はないだろうけれど。

指導はエスカレートする定めにあるならば、その指導がエスカレートすればするほど、自分も子供たちも幸せになれるような、そんな指導の軸をこれからも探していきたい。