『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

できるんだって、示して欲しいんだよ。

今日、子供たちに語ったこと。

多くの先生は「クラスの子供たちに任せても、ちゃんとやれない」って思っているんだよ。今日のみんなの授業のように「漢字テストに向けて、勉強してね。任せるよ」なんて言っても、おしゃべりしたり、遊んだり、勉強したとしても間違えたままだったりすると思っている。だから、先生が説明をしたり、丸付けをしたり、豆テストをしたりしないといけないと思っている。でも、みんなはやれているでしょう?完璧じゃなくても、かなり高いレベルでやれているよ。だからね、それを日本中の先生に示して欲しいんだよ、任せて大丈夫って。

今まで、多くの方から『学び合い』について質問や相談を受けてきた。まあ、西川先生の1/10000にも満たないだろうけれど。それでも、私なりに精一杯対応してきたつもりだ。(ただ、あまりにも腹立たしい質問の仕方をする方がいて、そういう時には何も反応しないことに決めた。私は聖人君子ではないので。)その中で、多くの方々が「子供たちに任せるのが怖い」ということが分かった。また、怖いから任せられないケースだけではなく、高い所に立たされた時のように怖くて目を瞑ってしまい、子供たちの姿をちゃんと見ないままに任せているケースも少なくないのだと知った。

 

私は、ありがたいことに、『学び合い』に挑戦した1時間目の授業から子供たちが学び合ってくれたので、それ以来、強い恐怖心を抱いたことはない。毎年、年度当初は「今年の子供たちは『学び合い』を受け入れてくれるだろうか」という緊張感はあるが、それは、任せることへの恐怖ではない。私という人間を信用してくれるかどうかへの恐怖心だ。初めて年度当初から全教科『学び合い』でやることにした時も、任せることに躊躇はなかった。
それ以来、10年近く『学び合い』による授業を継続する中で、私なりの実践知を積み上げてきたという自負を持っていた。けれども、数年前、積み上げてきた物が全く通用しないクラスに出会った。

「ああ、もしかすると、私の『学び合い』はここで途切れるのかもしれないな」

と思ったし、

「今まで、『私のクラスでは無理です』と言っている人にも出会ったけれど、こういうクラスを担任している人だったのかもしれないぞ」

とも思った。しかし、結果として、そのクラスでも『学び合い』は十分に成立した。その子達のおかげで、私にこびりついていた悪い思い込みが、ツルンと剥がれ落ちたのも感じた。
その後には、似たような状況のクラスを担任したけれど、その時の経験があるので、全く躊躇なく『学び合い』でいけたし、前年度の状況をよく知る支援員さんに大いに評価してもらえたことで、私自身も救われたような気持ちになった。
過去には、教室から抜け出したりするのが普通の状況になってしまっているような学校にも勤務したが、そのようなクラスがどうやって生まれてしまうのかを、筋道を立てて説明できるようになったし、その対処についても、数年前に感じたある種の絶望感が嘘であるかのように、見通しを持てるようになった。
同時に、どういう教員ならそれなりに対応できるのかも分かってきた。私が担任しても苦労するであろうかなり難しいクラスを任されて、それでも何とか好転させている若い先生のケースを知っているが、そこからわかるように、経験や技術だけの話ではないのだ。その教員の人間力が問われてしまう。じゃあ、今、うまくいっていない先生は、人間的に駄目だってことだろうか。まあ、そうなのだけれど、そうではない。駄目なところを持っていない人など、いるはずがない。自分の駄目さも愛しつつ、開き直らず、前に進んでいける人でないと、今の難局を乗り越えるのは難しいのではないだろうか。

 

難局を乗り越えるために、多くの先生方に知って欲しい。
子供たちは力を持っているのだ。子供たちはできるのだ。

 

そして、日本中の子供たちにも伝えたい。

あなたたちは、できるんだよ。できるんだって、示して欲しいんだよ。