『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「大人になれなかった弟たちに……」の授業から。

勤務校は教科担任制である。私は高学年の国語の他に、中学校1クラスでも国語を担当している。

中学校で授業をするのは初めてのため、そこそこ苦労している。というのは、授業の準備に時間がかかる。ほとんどの教材が初めてだからね。でも、面白い。

今は、「大人になれなかった弟たちに……」。初発の読み取りでは「『僕』は、ひもじさや甘い物欲しさに負けて、弟のミルクを飲んでしまった」「母はヒロユキの死を受け止めきれず、餓死した直後には泣かなかったのではないか」というような感想がクラスの主流だった。

ちょっと物足りないなあ、というか、違和感を抱いて放課後、何度も文章を読み込む。

そして、ふと気付く。

ああ、この物語の悲しさは、母も兄である「僕」も、弟の死を予感しながら生活しているところにあるんじゃないか。

泣かない赤児を心配するのではなく「大人しくて助かる」という母。

弟の唯一の食料であるミルクを何度も盗み飲みしてしまう僕。それを強く咎められない母。

その裏には、「この子は長く生きられないだろう」というある種のあきらめがあるんじゃないか。

そんなことを感じた。

 

で、授業では、生徒がそれに気付くことができるような仕掛けを考える、なんてことは全くしないのが私のスタイル。

包み隠さず、子供たちに私なりの考えを伝え、「弟の死を予感させる部分を読み取る」という課題を出した。

すると、案の定、さまざまな意見が出された。その全てが「正確」だとは言えないのだけれど、でも「自由に感想を書きなさい」と言ったのでは出ない類いの意見も少なくないと思う。そして、授業後に「こういう風に深く読むのって面白い」と感想を述べてくれた生徒がいたのは、素直に嬉しかった。

 

こういう時、やっぱり教材研究って必要だよなあとは思う。私なりに読み、私なりの考えを持ち、それを生徒に投げ掛けることの大切さを実感する。

一方で、今後は「いや、先生の意見は違うんじゃないですか」と言われるような場面が生まれてきて欲しいと願っている。生徒が私以上に読めるようになって欲しい。私の想定の上をいって欲しい。私の意図を意図的に乗り越えていって欲しい。
学級担任制で、私の考え方を色濃く反映しやすクラスなら「放っておいても、そうなるよ」と言えるのだけれど、教科担任制であってもそれが可能なのかどうか、中学生でも可能なのかどうか。私程度の力量では、正直なところ、自信がない。