『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント 繋がる国語科 アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

福島県の小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。

当ブログの内容は、全てなおたかの個人的見解です。


得をして帰りなさいよ。

金曜日は遠足で、その後は三連休。学級の中にはなかなか集中して勉強ができない体調の子もいますが、私の場合、あまりそこには配慮しません。「三連休あけだから、勉強しなくていいよ」と思ってしまったら、ちゃんと勉強したい子にとっては、辛い時間になってしまうからです。

私は「勉強したい子」に合わせて授業を進めていきます。その上で、辛い子を見捨てないことを求めます。これが私の基本スタンスです。

 

今日の算数。様子を見ていたら、なかなか理解できない子がいて苦しんでいました。でも、そこに救いの手が伸びていかない。教えている子もいるんですが、今日はちょっと手が足りない感じ。いつもならフットワークが軽いあの子やこの子が、今日は腰が重いようです。

仕方がないので、可視化しました。

「まだ分かっていない人がいるぞ。Hくん、どう?分からない?そうか。じゃあ、Hくんに教えてくれる人はいないか?ありがとう、よろしくね。他に分からない人は?」

こんな感じです。

 

こういうことは、やらない方が良いんです。こういうことを教員がやればやるほど、学級は悪くなります。と思っているので、子供達にも正直にそう伝えます。

「先生が言ってから教えに行っているクラスはダメになるよ。だって、先生がいなかったら、助け合えないんだから」

その後、Hくんが「分かった!」となったら、数人が歓声をあげました。

「教えた人って、分かってもらえると嬉しいんだよね。だから、いっつも言っているでしょう。教えることは得なんです。教えると自分も賢くなる。感謝される。仲間が増える。分かってもらえると嬉しい。だから、どんどん得をしなさいよ。教えないのは損だよ。せっかく学校に来たのに、損をして帰ってはもったいないよ。得をして帰りなさいよ」

そう話して授業を終えました。

 

こういうことを繰り返すから、子供達は「仲良しの壁」を越えて教えられるようになると思っています。望んでいることを、しっかりと伝える、というのを大切にしています。

 

 

孤独感

私は、世代論のようなことは好きではないのですが、私と同世代の教員と、現在50代以上の方とで、決定的に違うなあと感じていることがあります。それは「孤独感」です。

 

私は同世代の教員とはなしていると「ああ、あなたも孤独だったんだね」と思うことが度々あります。私が初任の年、市内の小学校61校の中で、初任者は私を含めて2名だけでした。男は私一人。中学校には初任者が複数名いましたが、新卒はいなかったので、全員が歳上です。

初任校では先輩に大いに可愛がってもらえましたが、でも、転勤しても、同世代がいない!いても、小学校は女性がほとんど。ですから、すんごく孤独を感じていました。

一方、私より一回り上の方々を見ていると、羨ましく感じます。

だって、私が以前働いた学校では、職員の半分以上が50代でした。つまり、ずっと「同世代がわんさか」だったんですよね。いいなあ。「これは、若手の仕事だから」「これは、中堅の仕事だから」と山ほど仕事を押し付けられることもなく、嫌なことがあったら同世代と愚痴を言い合って過ごしたんだろうなあ。と、まあ完全に私の妄想ですけれど、そんな風に考えてしまった時期もあります。(今は、それほど単純じゃないだろうとも考えていますけれど)

 

ですから、私は同世代の教員に対しては、強くシンパシーを抱いてしまいます。一緒に孤独と戦ってきた仲間のような気がするのです。もちろん、そうじゃない人もいるでしょうけれど。

40歳になったので、同じ77年生まれの教員で集まって何かをやりたい!と思っているくらいです。こうして書けば、いつかは実現するかもしれないので、書いておきましょう。来年は厄年ですしね。

 

「ちゃんと」勉強する

「ちゃんと」勉強するってどんなことなのでしょうか。

 

じっと座っている。黙って話を聞く。ていねいに文字を書く。

 

そういうのが「ちゃんと」勉強している姿だ、というイメージが私の中にもあります。私も結構、普通のことも考えてるんですよ?

フラフラと歩き回っているよりは、黙っている方が「ちゃんと」して見えるし、ベラベラとお喋りされているより黙っている方が「ちゃんと」聞いているように感じられるし、乱雑な字よりていねいな文字の方が「ちゃんと」頭に入っているような気がします。

 

でも、必ずしもそうだとは言えないんですよね。じっと座っているけれど、別のことを考えていたり、黙っているけど睡魔と戦ってるだけだったり、ていねいに書いているけどポイントがずれたメモだったり。そんなことだってあるでしょう。

だから、「ちゃんと」した勉強かどうかを、そういう、分かりやすい指標で判断するのは無理があるんでしょうね。

 

じゃあ、「ちゃんと」した勉強ってどんなものなんだろう。

と考えると、私は

「その勉強は、あなたの成長に繋がりそう?あなたの幸せに繋がりそう?」

と子供達に問いたくなるのです。じっと座って、黙って話を聞き、ていねいにノートを書くいて過ごす。でも、それだけじゃ足りないよね?じゃあ、どんな勉強しようか。と子供達と一緒に考えたいのです。

 

キャリア教育を日常の授業で行うって、そういうことだとも思っています。