『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント 繋がる国語科 アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

福島県の小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。

当ブログの内容は、全てなおたかの個人的見解です。


良い授業

32歳だった私は、良い授業をしたい!と考えに考えた末に『学び合い』に出会いました。だから、「良い授業」の延長線上に「一人も見捨てない」=教え子の将来の幸せがあるのだと、かつては考えていました。

 

けれど、その考えはすぐに崩れ去りました。私がちょっと良い授業をしたからと言って、子供達が救われるわけではないのだ、ということを東日本大震災で痛感したからです。ちょっと楽しい授業、よく分かる授業をしたからといって、震災に勝てるわけがありません。「勝つ必要はないでしょう」と言われたこともあるのですが、そう言える人が羨ましくてたまりません。勝たなくていいと私が考えてしまったら、地獄を見る子供達がたくさんいるのですから。

私は震災には勝てない、他にも勝てないことは山ほどある。でも、子供達を救いたい。

そう考えた時に、私の基本的な在り方は決まったのです。これだけは忘れちゃだめだよ!という基本スタンス。が、実を言うと、今年はそこがちょっとブレました。周囲の目を気にしたせいです。情けない話です。でも、最近になってやっと取り戻しつつあります。きっと大丈夫。というか、大丈夫にしなくちゃね。

じゃあ、その「これだけは忘れちゃだめなこと」とは何か。

というのは、25日に話すので、ここでは秘密にしておきます。参加者さんの中で、このブログを読んでくださってる方もいらっしゃるようですから。

笑顔

学級経営上重要なこととして、「教員が笑顔であること」を挙げる方は多いと感じます。私もそう思います。

教室では、笑顔でいたいし、笑顔でいた方がいい。

そりゃそうです。が、これがなかなか難しい。じゃあ、何が難しくさせているのでしょうか。私の経験上、それは周囲の目です。私の実体験や見てきたことから判断すると、周囲の目によって笑顔を奪われた教員は少なくありません。

じゃあ、その「周囲」の人々は、なぜ笑顔を奪うような目で見てしまうのでしょうか。それまた、その人々の「周囲の目」が影響しているように思います。教員の周囲の人々の周囲も、周囲の人々の目を気にしていて…。だから、誰かを悪者にすれば済む話ではなさそうです。

 

ということで、私はえいや!と周囲の目を振り払って、笑顔を保とうと努力しています。一時期は「目」に負けかけてましたが、最近は盛り返してこれたかな!?本当は努力なんかせずとも笑顔でいられればいいのですけど。

笑顔でいるコツってあるんでしょうか。私の場合は本当に「えいやっ!!」気合いで、色んなしがらみを振り払っているだけです。

 

『学び合い』の障壁

何度か書いていますが、「一人も見捨てない」と「みんなができる」は一致していません。「一人も見捨てない」を実現する初期段階として、「みんなができる」という目標を設定することはありますが、でも、あくまで集団作りの通過地点です。「みんなができる」を引きずり過ぎると、簡単な課題ばかりになってしまいます。それだと、集団は緩みます。

また、「一人も見捨てない」と「連帯責任」は全く違います。「一人も見捨てない」ことを求めるのは、それが全員の幸せに繋がるからです。「見捨てたら、全員の責任。罰を与えるぞ」なんて教員が思ってしまうのは、全員の幸せのためじゃなく、教員が自分自身のために学び合わせたいからかも。

「一人も見捨てない」と「みんな仲良し」も全く異なります。みんなが仲良くなることを求めたら、辛い子が出てしまいます。みんなが仲良く見えれば、教員は安心ですけれどね。

 

なんてことをわざわざ書くのは、ちゃんと言葉にして確認しないと、私自身が誤ちを犯してしまうから。人は易きに流れるもの。弱い私は知らず知らずのうちに、多くの人が受け入れてくれるやり方や、多数派の考えに寄っていってしまうんです。でも、それだと危険です。言動がぶれてしまうから。『学び合い』の子供観や学校観に照らして考えなくちゃいけないのにね、本当は。

『学び合い』を続けていく上で、これは大きな障壁だと感じています。私の場合、それを乗り越えるために、どっぷりと『学び合い』の理論に身を浸す時間が欲しいです。今週末の大阪が、そういう時間になるといいなあ。