『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント 繋がる国語科 アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

福島県の小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。

当ブログの内容は、全てなおたかの個人的見解です。


人生レベル

今日は頭を使いまくった1日でした。学級が一歩前に進む上で正念場を迎えているからです。学習発表会を目前に控えているので、忙しさから怠け心がムクムクとわいてしまいます。でも、何とか耐えて子供達をじっくり見ました。そして、語りました。

 

正直言って、多くの子供達は明後日に迫った学習発表会に心が向いています。だから、今日の語りはなかなか沁みません。でも、今から話しておくことで、来週が変わってくるはず!と信じて語りました。

今すぐどうこうじゃなくていいのです。来週のことは今週のうちに考えておきます。来月のことも、来年のことも。そして、10年後、20年後も。私が40なので、子供達が50歳、60歳になった頃のことはなかなか想像しにくいの面もあります。それでも、出来るだけ先のことを考えておきたいのです。そうやって、人生レベルで考えて語りました。

 

それにしても疲れた…。

難しいことじゃなく

『学び合い』で生きる。

なんてことを書くと、ものすごく難しく取られてしまうかもしれません。

そう言えば、先日の『学び合い』仙南の会で「なぜだか分からないけれど、『学び合い』をものすごく高尚なものだと思っている方がいるらしい」という話題がでました。そんなわけありません。『学び合い』は人間の本能に基づく理論ですから、高尚どころか人間臭い生々しいものです。

『学び合い』で生きるとは、ものすごく単純に言えば、

  • より多くの人と繋がって生きる。

ということです。繋がりは多ければ多いほどいい。出不精な私ですが、実際にお会いするまでは「怖そうだな」と思っていた方に会ってみたら愛と思い遣りに溢れた方だった、なんて経験もあります。

また、苦手な人とも「上手に」繋がればいいと思っています。苦手な人がいたら、共通の知人を通じて間接的に繋がっていれば良いです。むしろ、間に入ってくれる人を積極的に探します。また、折り合いがついていない関係性を見つけたら、勇気を持って飛び込んでみたり。

そういうことを無理のない範囲でやっていく。それが、『学び合い』で生きる、ということだと私は考えています。「無理のない範囲」って大切ですよね。

『学び合い』で生きる

『学び合い』による授業を開始した当初は、学級への課題として「全員ができる」を求めます。今までは数人だけの小さな関わりで生活していた子供達が、より多くの仲間と関わり合うことに慣れるためです。『学び合い』を継続する中で、子供達は「無理なく永続的に付き合っていくには、距離感が大切であること」を学びます。一部の仲良しとだけ密接にしているよりも、仲良しとは仲良くしつつ多様な繋がりを持っている方が利益があるのです。

 

もし、この『学び合い』の考え方を教員が理解していれば、それは授業の中だけではなく、学級経営全体へと波及します。さらには、自分がそういう考え方で生活していくようになるでしょう。職場では考えが合わない人がいても無理なく付き合える距離感を探すでしょう。同じ地区内では自分と考えの合う教員を探し、情報交換するでしょう。そして、県内外に繋がりを求めるようになるはずです。だって、「近く」の教員が持っている情報は自分も手に入れやすいものですが、「遠く」の情報は相対的に手に入りにくいものだからです。遠くの情報が正しい、とは限りません。でも、多様な方が役に立つのは間違いないでしょう。なお、ここで言う「遠い」とは距離的なものだけに留まりません。異業種の「立場の遠さ」も含みます。

そうやって、多様な人と繋がることの有益性を理解している方は少なくないはずです。が、これを継続的、発展的に行ってくのは、並みの労力ではありません。時間的にも金銭的にも精神的にも、負担は少なくありません。私も少しずつ挑戦していますが、まだまだです。

でも、自分の10年後、20年後を考えると、多様な繋がりを持っていたいと思います。それが有益だと確信しています。

同時に、『学び合い』の理論に通じる生き方をしている方は世の中にたくさんいらっしゃると思っています。そういう方が、『学び合い』で授業を行って欲しいなあと、心から願っています。