『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント 繋がる国語科 アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

福島県の小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。

当ブログの内容は、全てなおたかの個人的見解です。


『学び合い』で生きる

『学び合い』による授業を開始した当初は、学級への課題として「全員ができる」を求めます。今までは数人だけの小さな関わりで生活していた子供達が、より多くの仲間と関わり合うことに慣れるためです。『学び合い』を継続する中で、子供達は「無理なく永続的に付き合っていくには、距離感が大切であること」を学びます。一部の仲良しとだけ密接にしているよりも、仲良しとは仲良くしつつ多様な繋がりを持っている方が利益があるのです。

 

もし、この『学び合い』の考え方を教員が理解していれば、それは授業の中だけではなく、学級経営全体へと波及します。さらには、自分がそういう考え方で生活していくようになるでしょう。職場では考えが合わない人がいても無理なく付き合える距離感を探すでしょう。同じ地区内では自分と考えの合う教員を探し、情報交換するでしょう。そして、県内外に繋がりを求めるようになるはずです。だって、「近く」の教員が持っている情報は自分も手に入れやすいものですが、「遠く」の情報は相対的に手に入りにくいものだからです。遠くの情報が正しい、とは限りません。でも、多様な方が役に立つのは間違いないでしょう。なお、ここで言う「遠い」とは距離的なものだけに留まりません。異業種の「立場の遠さ」も含みます。

そうやって、多様な人と繋がることの有益性を理解している方は少なくないはずです。が、これを継続的、発展的に行ってくのは、並みの労力ではありません。時間的にも金銭的にも精神的にも、負担は少なくありません。私も少しずつ挑戦していますが、まだまだです。

でも、自分の10年後、20年後を考えると、多様な繋がりを持っていたいと思います。それが有益だと確信しています。

同時に、『学び合い』の理論に通じる生き方をしている方は世の中にたくさんいらっしゃると思っています。そういう方が、『学び合い』で授業を行って欲しいなあと、心から願っています。

 

 

 

 

仙南の会

 『学び合い』仙南の会に久しぶりに出席しました。

 

『学び合い』はやり方ではなく考え方だ、と言われます。でも、本当は考え方でもなく、生き方なのでしょう。

そう感じるのは、仙南の会主催者のGさがそうだからです。今日もたくさんのエネルギーをいただきました。

すんでの所で気づく

昨日のエントリに少々反応をいただきました。
メッセージやコメントをくださったみなさん、ありがとうございます。もちろん、私も悩むし、苦しみます。教育という営みは難しく悩ましい。心からそう思います。

 

せっかく反応をいただいたので、昨日の続きを書きます。

今日は自分のブレを認め、子供達に謝ることからスタートしようと思っていました。
「昨日の私は叱りすぎでした。ごめんなさい。叱られて伸びるクラスはありません。叱っていたら、みんなの良い姿を見逃します。今日はみんなのがんばりをできる限り見つけます。みんなが落ち着いて学べるように、まずは私が落ち着きます」

そう言おうと考えながら、通勤しました。その時、ふと頭をよぎったのが「眼鏡」です。パソコンを使う時にはブルーライトカットの眼鏡を使用しているのですが、それをかけて教室に行こうかな。そして
「これは、みんなの良いところが見えるようになる眼鏡です。この眼鏡をかけて、みんなの良いところをどんどん見つけるよ」
と話そうかな。。。。

 

と考えていて、気づきました。
「うわ!俺、ダメだ、またブレているよ!!!」

もともと、私はこういうことが大嫌いなのです。だって、もしも学校長が職員室で眼鏡をかけて
「これは、みなさんの良いところが見えるようになる眼鏡です」
なんて言ったら、腹が立ちませんか?私なら腹が立ちます。そんなものは嘘っぱちじゃないか、と。眼鏡をかけなきゃ「良いところ」が見えないのか、と。

自分がやられて嫌なことを、子供達にやろうとしてしまうのは、「子供達を操ろう」という意識の表れでしょう。そして、子供達を「下」に見ているからかも。
もちろん、私が眼鏡をかけて行ったら、喜んだ子もいるでしょう。でも、私のように腹を立てる子もいるかもしれません。腹が立たなくても、嫌な気持ちになる子もいるでしょう。
私は学級経営を行う際、「こういうことに腹を立てる子」を念頭に置いてきたはずなのにな。そして、「腹を立てる子」が増えて欲しいと願っているはずなのにな。

もちろん、教員にもいろいろなタイプの方がいらっしゃるでしょうから、様々な小道具を上手に使う方もいるし、それによって子供達を惹きつけられる方もいるでしょう。けれども、私はそういうタイプではありません。私の今までのスタイルとも、主義主張とも、まったく相容れない考えです、眼鏡は。

 

いやあ、すんでの所で気づくことができました。
今日、眼鏡をかけて教室に入ってしまっていたら、今年度の私は、きっと終わっていましたね。危なかった。踏みとどまれて良かった。
そして、ここ数日の悩みが少し晴れたようにも感じます。

今日の朝は、特に何のひねりもなく、素直に子供達に謝りました。そして、暑苦しく語りました。集団の不調の大きな原因は、学校行事が立て込んで、子供達も私も忙しすぎることにありますから、そう簡単に集団がジャンプアップはしません。それでも、イライラしているより、ずっとずっと良い1日でした。

ある方からいただいたメッセージの返事に書いた言葉ですが、結局、じっくりジリジリと集団を前進させていくしかないのでしょう。その歩みの遅さとゴールまでの果てしなさに気が遠くなりますが、でも、冷静に振り返ると結構前に進んでいるし、ゴールも結構、近づいているものですよ、経験上ね。