『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

合わない子はどうするんですか。

『学び合い』に関してよく聞かれる。

「あなたのクラスには『学び合い』が合わない子はいないんですか?合わない子はどうするんですか?」

私はいつも

「当然います。そういう子は『学び合い』が良いと考えている子が支えてくれています。『学び合い』の恩恵を受け続けたい子が、進んで一人も見捨てないように行動してくれているから、私の授業は成り立っています。もし、『学び合い』が良いと思っている子がいなくなったら、『学び合い』による授業はしません」

といったことを答える。

これは方便ではなく本音である。

 

虫の居所が悪い時には、こんなことを言いたくなる。

「あなたのクラスには、あなたの指導方針が合わない子は一人もいないんですか?合わない子はどうするんですか?」

言ったことないけれど。

もし、こう聞いたら、どんな返事が返ってくるのだろうか。

おめでとうございます

元保護者さんから、成人式の写真を送っていただいた。なんと、ネット掲載許可も得ているとのこと。なので、載せさせてもらう。

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男は誰だかすぐに分かるが、女の子は難しい!女の子は変わっちゃうからねー。

1年間しか担任しなかったけれど、めちゃくちゃ思い出が多いクラスだ。特に、物議を醸した学習発表会は、楽しかったなあ。桃太郎の英語劇をやったのだけれど、鬼と桃太郎が対決する直前に、マイケル・ジャクソンが現れて戦いを止め、皆んなで踊り出す、というBeat itのパロディ。(このアイディア、どうぞパクってくださいね!)少人数の学校だったから、皆んなそれなりに出番があったし、ダンスも含めてなかなかクオリティ高かったなあ。

授業で学習レポートを書く実践を始めたのも、このクラス。今と比べれば、私はかなり荒削りで雑な授業をしていたから、思い返すと申し訳ない気持ちになる。

 

教え子の成長した姿を見られるのは、本当に嬉しい。

 

ご成人おめでとうございます。皆さんに幸多からんことをお祈りしております。

曖昧な立ち位置の狡さ

時々、自分の狡さに気付いて恥ずかしくなる。

ある時には、「自分は他の学校関係者とは違う変わり者だ」という立場で「学校や教員は、○○だから駄目なのだ」と断罪し、別な時には「学校は○○であるべきだ」とまるで「学校教育の代表者」であるかのように発言をしてしまう。自分の都合に合わせて、立ち位置を変えているのである。また、時には「東北地方の片隅で細々と働いている一教員」であるという立場(事実、そうであるが)と、「それなりに発信をしてきた実践者」であるという立場(一応、そうと言えなくもないかな)とを使い分けていることも、恥ずかしくなる。

簡単に言えば、立ち位置を曖昧にして使い分けるという狡さを、私は持っているのだ。それは仕方ない。自分の人間性の低さは自分でよく分かっている。

でも、そこでいじけるのでもなく、開き直るでもなく、隠すでもなく、ひけらかすでもなく、私なりの自然体で生きていきたいと願っている。自分の内面をだだ漏れさせるようなことはできないけれど。