『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

怒りの資格

自分の無能さに気付いていない頃、すなわち若い頃は、よく怒りで他者を断罪していた。恥ずかしい限りだ。

今は、自分の無能さが分かってきた。私に人を怒る資格があるだろうか。そう考えると、怒りの矛先が自分に向くことが増える。

 

それでも時々、どうしようもなく怒りが沸く。

ただ、同時に悲しさや寂しさも込み上げる。

私は怒りたくなどない。怒りの資格なんぞ要らない。私はただ、幸せに生きたいだけなのだ。それなのに、幸せを守るためには、時には怒らざるを得ない。

そんな自分の愚かさが恨めしい。自分の未熟さが恥ずかしい。

理解できるが、納得してもらえない

『学び合い』の理論に出会って良かった点の一つに、「ちゃんと理由が分かるようになった」ということがある。学校には、私から見ると

「いや、それはダメでしょう」

と言いたくなるような指導がちょくちょく蔓延っている。以前は感覚的に「ダメ」と思うだけで、その理由が分からなかった。だから、ひとに説明できないし、「もしかすると私が間違っているのかもな」と無理矢理自分を納得させることも多かった。

しかし、『学び合い』という一つの理論を私なりに真剣に学ぶことで、根拠を持って理解できるようになってきたのだ。

例えば「なぜ、個別指導をすればするほど点数が下がるのか」「クラス全員を前にやんちゃな子を『◯◯さんは、本当はやればできる人なんだよね、先生は知っていました』的な褒め方をしてはいけないのか」なんてことも、『学び合い』の理論(私の理解では「人間の衝動を活用して、一人も見捨てない集団を育てる理論)で、すんなり理解できる。

しかし、理解できたからといって、それを他の人に納得するしてもらえるわけではない。時々、「理解しているなら、ちゃんと説明できるはず」という言説を目にするが、説明しても理解してもらえるとは限らないよねー。むしろ、深く考えて理解したことほど、納得してもらるのが難しい場合もある。難しいことを簡単に言い換えることもできるけど、それは「方便」の色合いが濃くなり、真実と離れるようにも思う。個別指導をすると点数が下がる理由を簡単に言うと「点数が下がるほどに、テストで良い点を取らせてもらえるようになるから」って感じだけど、これ、誤解もたくさん生むだろうな。

 

『学び合い』的な音読

先日、国語の時間に、いわゆる「一文交代読み」を行った。その姿が、実に『学び合い』だなあと思った。
子供たちの中には、当たり前だけれど音読の苦手な子もいる。しかも、新しい単元に入って初めての音読である。つっかかってしまう子がいて当然だ。でも、すぐに近くの子が立って、読むところを指でなぞってあげていた。また、自分がどこを読むか分からなくなってしまった子にも、

「ここだよ」
とそっと教えてあげたり、ページを開いてあげたり、自分の教科書を見せてあげたり。もちろん、私は「こうしなさい」という具体的な指示はしていない。でも、子供たちがこういう行動をしてくれる理由は、予想がつく。

例えば、音読をしていてつっかかってしまった子がいても、私は叱らずに励ますようにしている。また、どこを読めばいいか分からなくなってしまった子に「ちゃんと聞いていなさい!」とは言わないようにしている。「聞くのも勉強だからがんばってー」と言いつつ、どこを読むか教える。自分の教科書を見せるのも、私がよくやることだ。

これらの私の行動が、少なからず、子供たちの行動に影響を及ぼしているだろう。もちろん、家庭とか友達同士の影響力も大きいと感じるけれど。

 

子供たちが助け合うのを、止めるタイプの先生もいる。「まさか!」と感じる人もいるかな。けれど、こんな言葉は、今までに勤めたどの学校でも聞いた。あなたも聞いたことないだろうか。

「○○さん、人のことはいいから、自分のことをやりなさい」

この言葉を使う人が駄目だと言いたいわけじゃない。こういう言葉で、子供たちは教員の意図を掴んでいくのではないか、という話である。