『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

分かっていない

わたしは欠点の多い人間ですが、その一つに「自分程度が分かっていることは、きっと他の人も気付いているだろう」と勘違いしてしまう、ということがあります。
例えば、


『学び合い』は、経営論・組織論であって、授業論ではない。


ということ。
わたしは、これに気付いた時に、授業に対する迷いが大きく減りました。
自分にとってあまりに腑に落ちているので、皆々様もきっと分かっているし、分かってくれるだろう、なんて大きな勘違いをしてしまうくらい。
でも、そうは考えていない人も多いんですよね。というか、教師で在りながら、学級経営という視点を持っていない人も多いことに驚くんですが。


「こういう授業は『学び合い』では出来ない。だから、『学び合い』は駄目だ」
という論調で、『学び合い』を批判する方が居ます。
笑ってしまいます。理由は何点かあります。
一つは、多くの場合、「こういう授業」がそんなに威張るほどのレベルじゃないこと。
もう一つは、「こういう授業」をやっても「できない児童」に対する指導が見えてこないこと。
さらには、「こういう授業」を本人も実現できていないこと。
もっと言えば、それによって生じる(ということが、ある程度の力量を持っている教師なら予想できる)様々な問題点に対して無策であったり、問題自体に気付いていなかったりすること。
ついでに言うと、批判の矛先が『学び合い』に向いているように見えるけれど、それが全く別の物(教育行政だったり、自分が過去に出会った教師だったり)に対してであることも少なくありません。


『学び合い』の最大の利点は、教科指導と学級経営が完全に融合していることにある、とわたしは考えています。
それ故に、『 学び合い』は経営論・組織論だと思うのです。
けれど、授業レベルでしか学級や学校を捉えていない教師が大半ですから、話が噛み合いません。
敢えて言いますが、それはベクトルの違いではなく、レベルの違いです。
分かっていないのです。


45分間という時間で切り取った「授業」としてなら、優れた実践は沢山ありますし、わたしなんぞより素晴らしい先生は星の数ほどいらっしゃるでしょう。授業の腕だけでも、数時間〜数か月ならば勉強を分かっていない子を誤魔化して、何となく分かったような気分にさせたり、授業に参加出来ているような錯覚をさせたりすることはできるでしょう。でも、ずっとは無理です。小学校6年間は誤魔化せません。義務教育の9年間はもっと無理です。
長期間、全員が学び、成長するには、学級や学校全体を「学び、成長する場」にする必要があると、わたしは考えています。
(西川先生がいう「地域レベル」は、わたしにはまだ見えてこないというのが本音です。理論的には分からないではありませんが。)


ということで、最近では、分かっていないし、説明しても分からないであろう人には、余計な力を使わなくなってきました。
良いコトですね、これは。
それよりも、分かってくれそうな方や分かりたい方と話す方が、絶対に楽しいし、実りもありますから。