『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

いじめは本能なのか

いじめは本能である、と言う人がいます。

これって本当なのでしょうか。科学的、学術的な知見は私にはありませんから、本当だとも嘘だとも言えません。でも、いじめは本能である、ということがどういうことなのか、私にはイマイチ理解できないのです。「いじめは本能」ということは、皆さんは、本能的にいじめたくていじめたくて我慢ができない!と感じて生きているのでしょうか?私自身に限って言えば「虐めたい」という欲求はありません。

加えて、「動物もいじめをする。だから、人間にもいじめる本能がある」というような言説も理解できません。例えば、鳩には帰巣本能があると言われていますよね。じゃあ、「鳩は遠く離れた場所から巣に帰る。だから、人間にも帰巣本能がある」と言っても「???」でしょ?

それとも、私が「本能」というものを根本的に間違って理解しているのでしょうか。

困難

「困難な状況でも、焦らずに今まで通りの方法を積み重ねていきましょう。」

そう言われると、そうかもしれないなとチラッとは考えます。

でもね、困難な状況でも、今まで同様の方法を積み重ねれば対応できるものでしょうか。今まで同様の方法では立ち行かなくなっているから「困難な状況」だと感じるのではないでしょうか。

 

本当に困難な状況に直面した時には、今までとは全く異なる方法を試さないと生き残れないと思うのです。もちろん、リスクもあります。失敗もあります。結果が出るまでは時間もかかります。

でも、座して死を待つよりは、切り開く方を選びたいのです。

がんばったことは「テスト」

1年のまとめとして、「3年生でがんばったことベスト3」を書いてもらいました。今年度は、ほとんどの子が「テスト」のことを書いていました。

「漢字のテストをがんばった」

「理科のテストで100点がとれた」

実際の作文はもっと詳しく書かれていましたが、それらの作文を読みながら、やっぱり私はテストを蔑ろにはできないよなあと感じていました。だって、結果が点数としてはっきり出ますもの。

あんなテストの点数で、人の価値は決まりません。でも、学校で過ごす時間はほとんどが授業で、そして、その評価の一つとしてテストがあるんですもんね。子供達にとって、授業が分からない、テストができない、というのは苦しいんだろうな。そういう時間を過ごしている子は、テストで100点が取れたら、そりゃあ嬉しいだろうな。

小学校のテストなんて大して難しいモノじゃありません。だからこそ、ある程度は出来るようにしてあげたいと考えています。