当事者意識
「割れ窓理論」の日本語訳を読みながら驚愕しました。その冒頭に、こんな話が出てきます。
- ニュージャージー州で、州からの要望により、警察が徒歩でのパトロールを増やした。
- 警察側はその効果に元々懐疑的であった。
- パトロールの結果、犯罪率は下がるどころか、むしろ上がった。
- にも関わらず、住民は身の安全を感じ、犯罪が減ったとさえ感じるようになった。
- その上、犯罪から身を守る手段を取らない傾向になった。
恐ろしいなあと感じました。もちろん、私の解釈や読解力の不足も含めて、全てを鵜呑みにはできません。
でも、私が抱いている危機感と見事に重なります。
- 担任は、様々なところからの要望により、児童への指導事項を増やした。
- 担任はその効果に元々懐疑的であった。
- 指導の結果、問題行動は減るどころかむしろ増えた。
- にも関わらず、児童は身の安全を感じ、問題行動が減ったとさえ感じるようになった。
- その上、自分達で問題が起きるのを防ぐ手段を取らない傾向になった。
うわあ、あるなあ。
担任だけが頑張るクラスはいじめが起こる。
その状況はまさにこんな感じゃないでしょうか。でも担任の先生は頑張っているんですから、校内では責められにくいのです。(校内ではね。)
私が頑張り過ぎると、子供達の「当事者意識の欠如」を招いちゃうでしょうね。
学校は頑張ることが大好きですから、私自身もこういう状況に陥らないとは言えません。
気をつけないと!
教員は、問題を解決してあげる人なのでもなく、問題の発生を抑制する人でもなく、問題の解決方法を教える人でもなく、問題の防ぎ方を教える人でもないのでしょう。
それらを「対処療法」として行う場面は当然ありますが、それは本筋じゃないはず。
私は「あなた達がこのクラスの当事者なんだよ」と分かって欲しいと強く願っています。その実現に力を尽くすのが、教員の本筋だと思っています。