『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

自分の弱さ

わたしは、授業で「単元計画表」という物を配布しています。
簡単に説明すると、その単元で出来るようになって欲しい課題を表にして、単元の最初に配布しています。
これのおかげで学びやすくなっている児童は多くいると思います。が、でも、これはわたしの「弱さ」の現れなんだと思います。


単元計画表には、3つのことを載せています。
1 単元全体の目標
2 大きな課題(1〜2単位時間レベルの課題)
3 小さな課題(大きな課題の補足。一般的な授業で言えば、主発問レベルでしょうか。)
の3つです。この表について、多くの方は「しっかりと授業の準備をしていて素晴らしい」と思ってくれるようです。この「しっかりと準備している」ことが問題です。準備の「主語」が誰かが問題なんです。


本当は、「1」だけで十分だと思うことも多いです。ですから、こんな表は作るのをやめようと思ったことが何度もあります。
でもなあ。
この表が無い状態で子供達に単元を丸ごと投げたら、多分、最初は混乱すると思います。もしくは、ただ教科書の問題をやって、テストで大失敗する子が続出するでしょう。だって、子供達が「この単元で何が出来るようになれば良いか」を理解するためには、それなりの時間や経験でしょうから。でも、その混乱を乗り越えた時、子供達の学習は大きくレベルアップできるんだろうな、という確固たる予感はあります。理論的な裏付けもあります。けれど、この計画表なく子供達に任せることが、今のわたしにはできないのです。


それは、最初の混乱を黙って見ていられないからです。子供達の力を信じて待てないのです。それは、信じる力が足りないというより、混乱によって予想される「マイナスの反応」に対処する自信がないのです。例えば、「これでは全く勉強が分からない。」という子供の言葉に対してどう言えば良いか。または、「この勉強が全然分からないとウチの子が言っているんですが。」という保護者の不安にどう答えるか。模範解答は浮かびます。「教師がどんなに語っても、その想いに賛同してくれない子や親は居る。まずは味方になってくれる人を確保し、その人が周囲を説得してくれるようにするのだ。」というように。でも、今のわたしは、「小学校3年生が単元全体を見通して教材研究をしながら学習を進めて行くことの意義」を、学級の2割が納得するように説明できる自信がありません。保護者の2割を巻き込むための動きも出来ていません。なので、仕方なく「単元計画表」を作っています。自分の弱さだと認識しつつ、ここ数年、それを続けています。しかも、丁寧に作り過ぎて、子供の学習に介入して邪魔をすることになったり、それを反省したりを繰り返しながら。わたしのそのブレが子供達を更に混乱させている時もあります。
それでも「作らないよりは作った方がいい」と判断しています。そして、『学び合い』を失敗して欲しくないという想いから、単元計画表を紹介したこともあります。


何も考えずに惰性で作っているわけではなく、今後の展開は色々と考えています。例えば、「子供達自身が単元計画表を作る」授業。しかも、その計画はインタラクティブ カリキュラムを取り入れます。(ちなみに、わたしが作る単元計画表は、当然ですがインタラクティブ カリキュラムの考え方で作っています。)
これで、最初の混乱を最小限に抑えつつ、かなりレベルの高い物が出来るだろうと思うのですが、でも、なかなか実践できていません。それもわたしの「弱さ」です。だって、児童が作る単元計画表よりも、わたしが作る物の方が「最初のうち」は良いと分かっているからです。何度も作っているうちに、わたしが考えるよりも良い物が出来ているのは当然の理なんだけれど、その「最初のうち」の苦しさを避けてしまっているんです。もしかしたら、数日でわたし以上に達するかもしれないけれど、でも、数か月かかるかもしれない。数年かかるかもしれない。その間を乗り切れるだろうか。そんな心配をしているのです。
自分の弱さを痛感します。


わたしは、「強い教師」であると見られているようです。実際に顔を合わせている方々にも、ネット上で繋がっている方々にも。そう見られていちいち否定するのも面倒ですから、そういうことにしておきます。
でも、このブログだって半分は自分の弱さを吐露するために書いているようなものなんです。もしくは、自分の弱さを言い訳しているとも言えます。
わたしにとって、「教師の技術や工夫」は教師の弱さと表裏一体なものだと思うのです。
ですので、自分の実践の弱点は、自分の弱さが原因なのだということは、忘れないようにしたいなあと、考えています。