『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

フォーラム慙愧

本当のことを申しますと、フォーラムが終わってから非常に落ち込んでおります。
というのも、自分の驕りに気付いたからです。


みゆき会分科会で坂内さんに言われた言葉。
「あなたが言っていることくらい、『学び合い』を崩してしまった人でも分かっているし、勉強しているし、子どもたちに語っているよ」(超意訳。文責:高橋)


頭をロードレーサーで轢かれた気分でした。
わたしは「俺は『学び合い』を崩さない」という驕りがあったのでしょう。そして、“『学び合い』を分からない人、できない人の気持ちが分からない。でも、分からないものは仕方ないよね”という勘違いがあったのでしょう。それを指摘された気分でした。


分からない人には、言っても分からない。そうやって努力を止めた瞬間から、わたしは馬鹿になったのです。
自分がやっていることを言語化し、伝えようとする。その努力は継続すべきなのです。もちろん、全ての人に納得してもらえるはずはないのですが、でも、分かってくれる人は大勢いるはずなのに。そして、分かってくれた人が、他の方に翻訳してくれるはずなのに。その一連の流れの中で、最も自分が学べることが分かっているはずなのに。
分かっているはずなのにできない人間を馬鹿というのです。
危なかった。このままだったら、わたしも『学び合い』を崩すところでした。パネルディスカッションの最後に自分で言ったのにね、「『学び合い』は難しい」って。


分科会のタイトル“『学び合い』はなぜ崩れていくのか。古田と高橋はちゃんと言語化しなさいby坂内”これは、実はわたしが決めました。
このタイトルにした理由は、なんとなく面白そうだと思ったから。
この直感は半分当たりました。この分科会にして正解だったので半丸。でも、それは面白いかどうかではなく、今のわたしに必要だったのです。