『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

ぜひ、皆んなでやってよ!

先日、クラスの子からこう頼まれました。

「去年は、誕生日の人がいると、担任の先生が黒板に『誕生日おめでとう!』って書いて、周りに皆んなもメッセージを書いたんです。今年もやってもらえませんか?」

私はちょっと考えて答えました。

「ぜひ、係を作って皆んなでやってよ!」

その子達には誕生日の一覧を渡しました。それ以来、誕生日になるとお祝いのメッセージが書き込まれるようになりました。

 

子供達にとってはほとんどのことは「先生にやってもらう」のが当たり前です。ステキな先生が担任すればするほど、その傾向は強まるかも。真面目な子供達は、勝手にやってはいけない、という気持ちも持っています。私も「勝手にやるな!」と言いたくなることもあります。私がやってあげて、「先生、ありがとう」と言われたい気持ちもあります。

でも、それだと私が思う以上のクラスにはならないでしょう。私の範疇を超えないのです。私がいかに駄目な教員かは、私自身がよく分かっています。子供達には私を超えて欲しいのです。とは言え、あまりに突飛なことをして、子供達が損をする、つまり怪我をしたり、金銭的な損害を被ったり、大きなとトラブルに発展したりするのは避けたいところ。

じゃあ、どうするか。私は一人でやらずに「皆んなでやる」ことだと思っています。例えば、誕生日のメッセージを書くという活動だって、一人でやるよりも、数人でやる方が忘れにくいし、新しいアイディアも浮かびやすいでしょう。一人より二人。二人より三人。だから私の答えは

「皆んなでやってよ」

なのです。こういうことを繰り返していく中で、子供達がどんどん私に聞かなくなってくるのは、経験的に分かっています。しかも、私がブレなければブレないほど、それは早まります。私が「それはできないね」「それは先生がやります」「それは皆んながやってよ」と言う基準が曖昧だと(つまり、私の気分次第だと)、子供達が私に許可を得ないと動けなくなるんですよね。

さて、今年のクラスに「そんなことまで勝手にやってくれたの!?すげー!」ってなるのはいつ頃でしょうか。既にいくつか芽吹いているのは感じます。焦らないことも大切ですが、でも、楽しみです!