『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「誰のための卒業式か」なんて簡単に言ってはいけない

先週の木曜日が卒業式だった。

私のクラスの子供たちは複数の中学校に分かれて進学するので、今週は中学校を回って引き継ぎを行っている。でも、なんだか今年度が終わるという実感がない。4月から新しいクラスを持つ心の準備が全くできていない。

それは多分、あっさりと終わった卒業式のせいだ。認めたくないが、そうなのだ。

ほとんど練習をせず、式の直前に25分間練習をしたただけの卒業式。呼びかけも歌もなく、証書授与と校長先生のお話だけの卒業式。きっと同じような卒業式が日本全国で行われ、

「これで充分だろう」

という声と

「これじゃ物足りない」

という声に分かれているに違いない。

私は前者の立場だ、と、思っていた。練習し過ぎて当日には子供たちが半分飽きているような卒業式は嫌だ。予行練習で感極まって泣いた子が当日は冷静になっているような卒業式は嫌だ。そう思っていた。

それなのに、短縮卒業式が終わってから「あれ?」と感じている。物足りないような、寂しいような、そんな気持ちになっている。おかしい。卒業式なんて、もっとシンプルでいいと思っていたはずなのに。なぜだ!?なぜなんだ!?

理由は簡単だ。卒業式には、私が「終わった!」と充実感を得るという機能があったのだ。6年担任は楽しいけれど、忙しい。苦しさもある。何度も繰り返し6年生を持つ中で、卒業式で「ああ、これで終わりだ」とリセットをするようになっていたのだ。

そしてそれは、私だけではないのだろう。過去の先生方も、卒業式を見ながら「ああ、色々あったけれど6年生担任で良かった。この立派な姿を見られて良かった。これで4月からも頑張れる」と感じていたのだろう。そう感じるためには、できるだけ安心して卒業式当日を迎えたいから、十分な練習をして入念なリハーサルをしておきたい。その思いが、見方によっては「やり過ぎ」に見える内容や練習につながっていたんじゃなかろうか。


私自身は「そうは言っても、やっぱり卒業式は私のためにあるわけじゃないよな」と思う。一方で、来年度以降「やっぱり卒業式はしっかりやらないと!」と感じている人がいることを理解しなけばならないし、そう感じるにはそれなりの理由があるのだとも心に留めておかなければならない。もし、充実感を得られないままに6年担任を終わるのなら、ほとんどの教員が潰れる。「卒業式以外に充実感を得られない力不足の教員が悪い」と自己責任論を持ち出すには、今の学校は忙し過ぎる。今の学校で、力が十分な教員なんて、ほとんどいないだろう。


また、教員だけじゃなく、子供たちも多様だから、「卒業式は短くていい」と思う子もいれば「卒業式はちゃんと練習してやりたい」と思う子もいるはずなのだ。


そう考えているから、様々な場で見られる「卒業式なんてこれでいい!」と言い切る言葉に、苦しさを感じる。「誰のための卒業式かを考えるべきだ」という声にも、ちょっと待って、と思う。世の中をシンプルに考えることも時には必要だろうけれど、でも、それじゃ学校を変えられないと思うから。

色々な思いがあるのをちゃんと認めて受け止めた上で、その重みに押し潰されることなく立ちつつ、重い決断をする。そんなことができる人に、私はなりたい。まだまだ、先は長いけれど。

みん職フォーラムとアンテナと対談

昨日は「みん職フォーラム」でお話をさせていただきました。オンラインでのイベントです。

みんなのオンライン職員室 on Twitter: "🌸みん職フォーラム2020🌸 講座紹介〜ダイジェスト版〜 詳細・申込みはこちら💁‍♀️ https://t.co/dW1QpY6ltz"

Skypeやzoomを使った話合いや読書会は何度か経験しましたが、オンラインでの「講演」は初めて。これがなかなか難しく感じました。

話合い(会議)や対談は、相手の反応が分かります。でも、講演だと聞いてくださっている参加者さんの反応が分かりにくいのです。なぜなは、参加者さんは基本的にミュート状態。中にはカメラもオフの方も多くいらっしゃるからです。チャットに感想や質問を書いてくださる方もいらっしゃいますが、少数派です。

ですので、話していて不安でした。独り言を言っている気分。早口になるし、予定していた話は飛ばすし、講演としては0点でした。聞いてくださった皆さん、ごめんなさい。

でも、ありがたいことに、その後の質疑の時間は、思っていた以上のご質問をいただきました。「『学び合い』の教材研究のコツは?」というど真ん中の質問から、「高橋と坂内さんと古田さんの『学び合い』の違いはどこか」なんていうマニアックな質問まで、答えていて楽しい質問を多数いただけました。

途切れることなく質問を出していただけたのは、今回のフォーラムの参加者さんのアンテナが高感度だったからでしょう。新しいカタチの催しの情報をキャッチして、さらには参加しようとなさるような人は、アンテナが高い人だ。そういう話を以前にどこかで聞いたことがありますが、まさにその通りだと思いました。

 

その後の石川さんの講座を拝見しました。石川さんのお話は、さすがの内容でした。久しぶりに石川さんに会いたいなあ。ちなみに、私の本は、石川さんのこれらの本の語り口に大きな影響を受けています。私には石川さんのような美しい文章は書けませんけれど。

学校でしなやかに生きるということ

学校でしなやかに生きるということ

  • 作者:石川晋
  • 発売日: 2016/08/10
  • メディア: 単行本
 
学校とゆるやかに伴走するということ

学校とゆるやかに伴走するということ

  • 作者:石川 晋
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: 単行本
 

石川さんの講座は「対話」ベースでした。そこもすごく良くて。オンラインでの依頼を複数いただいているので、チャンスがあったら対談形式に挑戦してみようかと思います。

追いかける

私のことを、『学び合い』のトップランナーと呼ぶ人がいるが、私はこの呼ばれ方が嫌いだ。私は『学び合い』のトップランナーではない。

タイムラグ - 西川純のメモ

それでも私は、ある時を境に、トップランナーと呼ばれる覚悟を決めて発信を始めた。(追記しました。私を「トップランナー」と読んだ方を嫌いなわけではありませんから、気になさらないでくださいね。)

私の実践は、西川先生のブログを読んで湧いたイメージが元になっていることも多い。約10年間、西川先生のブログはほぼ全て読んでいる。もちろん、本も読んでいるけどね。そこから得られる「学術」のエキスを使って、「現場」で実践をしているだけだ。だから、トップランナーではないのだ。

先月発売した本は2年に書き始めた。原稿を書き上げたのは1年半前。最初の予定より約1年遅れての発売となった。それで良かったと思っている。1年前なら、今ほど売れなかっただろう。それに、中身としては、古臭さはないと自負している。それだけ『学び合い』の理論が現場の先を行っているからだ。「学術」の分からない私は「現場」で必死に後を追っているが、追いつかない。

ちなみに、いわゆる「アクティブ・ラーニング」とか「主体的・対話的で深い学び」は、私にとっては「通り過ぎた場所」である。早く世の中が、その先に向かえばいいのに。

私のような人間の役割は、前を必死に追いかけつつ、こんな所で留まっている人に

「そんなもの、さっさと見切りをつけて、一緒に前を追うんだ」

と鼓舞することだと考えている。かつて、私がやってもらったように。