『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

授業で出来る

色々なところで、色々な人が、色々なものの大切さを訴えています。
名称は書きませんが、○○法や○○教育といったものがいかに大切か、いかに優れた方法かという説明も度々耳にします。


けれど、そういったことを聞いても
「そんなの、授業で出来るじゃない」
と思ってしまうのです。
「一人一人の良さを引出し、発言力をつけるための○○」→そんなの、普段の教科の指導でつければいいじゃない。
「自己肯定感や自尊感情を高めるために、○○教育を推進しよう」→そんなの、普段の授業の中で高めればいいじゃない。
「学級の関係性を良くし、仲の良いクラスを作るための○○」→そんなの、普段の授業で仲良くさせればいいじゃない。
「○○法で、子供達の思考力・判断力・表現力を伸ばす」→そんなの、教科書を使った授業でも伸ばせるじゃない。
なんて感じ。


授業さえやっていれば良い、とも思いません。
授業が全て、とも思いません。
でも、世の中で言われている「○○法」や「○○教育」のほとんどが、普段の普通の授業をしっかりやっていれば、特別に取り組む必要なんてないんじゃないの?と感じてしまいます。


そういうと、
「それは、あなただから出来るんだ」
と言われてしまうので、普段は口を噤んでいるんですけれど。


でも、違うと思ってしまうのです。
わたしは、授業以外のことに力を入れ過ぎると、授業のクオリティが下がり、結果として子供たちを伸ばせなくなってしまいます。あれもこれもと色々やれる才能はありません。才能のない凡人だからこそ、わたしは、出来るだけ授業に集中したいのです。また、その授業が特別なものではなく、普段通りの普通の授業でないと、毎日継続して取り組めません。
それ故に、授業以外のことが不必要に感じてしまいますし、教科書を使った普通の授業を大切にしたいなあと思っています。


わたしの授業は、教科書とノートと、せいぜいレポート用紙を使っただけの普通の授業です。(と言うと、「どこが普通なの!?」と言われてしまいそうですが、わたしにとっては普通です。)
ちょっと特別なことと言えば、私物のiPad miniを時々使うくらいかなあ。でも、2台だけですから、子供たちの成長には無関係かも。あれば便利ってくらいのモノです。。
それでも、子供たちを伸ばしているという自負があります。


普通の授業を積み重ねることで、子供たちは伸びていきます。(そう胸を張って言えるのは、『学び合い』に出会ったからですけれど。)
逆に言うと、素敵なクラス・素敵な子供たちを育てるためには、特別なことは必要ないと思うんです。授業で出来ます。



学校が、教師が授業に集中できる場になったらいいのになあと、強く強く感じています。そして、教師が「授業で出来る」と言わないと、これからドンドンと学校への要求が増えていくばかりなんじゃないかと、怖くなります。
みんなで言って欲しいなあ。「特別な方法は要りません。普段の授業で出来ます」って。