わたしが『学び合い』と出会う以前によくしていた例え話に「学級は車だ」というものがあります。
先輩から「学級経営と授業は車の両輪だ。どちらかだけでは、まっすぐ走れない」と言われ、「じゃあ、エンジンは?ブレーキは?それを全部担任がやっているおかげでまっすぐ走っても、児童がお客さんじゃ意味がないなあ」と考えていました。
「エンジンになる子がいて、ブレーキになる子がいて、サスペンションだって、ハンドルだって必要だ。ターボやLSDになる子がいたら更に素晴らしい。皆んなで一つの車になって、目的地に向けて走っていけるような学級を作りたい」
それが20代の頃に考えていた目指す学級のイメージ。
で、今日、ふと思いました。
20代の頃に考えていたそういう学級が、今、出来ているじゃないの!?
もちろん、その時に考えていたことと違う面も多々有るけれど、それぞれの違いが組み合わさって、走っていく集団。そういう学級になっていると言って良いんじゃないの!?
そう感じます。
でも、20代の頃のイメージと違っているは、作っているのが「わたし」だけじゃないという点。
エンジンが10も20も要りません。ブレーキだらけの車じゃ走りません。サスペンションがなければケツが痛くてたまりません。
みんな違っていて良い、ではなく、みんな違っていないと困る、のです。