できないことをやれる
私は、『学び合い』の子供観に則り、「子供たちは有能である」と考えて授業を行います。子供たちは、私にはできないことをやれるのです。
例えば、私が
「どこが分からなのかな。教えて?」
と聞いても答えられず、ますます貝になってしまう子がいても、子供たちが
「どこが分からないの?教えて?」
と聞くと、
「あのね、ここが分からないの」
と答えられる、ということは珍しくありません。
また、私が
「ここはこうやるんだよ。分かったかな?」
と聞けば、大抵の子は
「分かりました」
と答えます。でも、子供たち同士だと
「ここはこうやるんだよ。分かった?」
「分からない」
「だから、こうやればいいんだって!」
「なんで?こっちのやり方じゃだめなの?」
「ダメだよ!あれ?ダメかな?あ、ちょっと待って」
「でしょ?なんか納得いかないんだよー」
なんて話し合っている姿を何度も見ます。私が教えるより、よく考えるのです。
こういう「私にはできないことをやれる」姿を見ると、子供たちってやっぱり凄いよなあと感じます。
ただし、子供たちは有能であるからこそ、私が無能であると判断されたら、見限られます。私は、子供たちができないことをやるのです。例えば、子供たちが見通せない先のことまで考えて指示したり、子供たちが予想する以上の成長をもたらしたり。こういうことの積み重ねていくことで、子供たちが動いてるくれるのです。