負けているなあ
子供達の行動を見ていると「優しいなあ」と感じる。
例えば昨日、帰りのあいさつをする直前に、ウチのクラスの愛すべきお調子者A君が教室の鉛筆削りを落とし、中の削りカスが散乱するという事件が発生した。
「あ!」
というみんなの声と1秒ぐらいの間の後、踊るように廊下に出ていったのはBさん。「まったくAはしょうがないーなー」なんて言いながら、でも、こういう時に、いつも素早いのだ。廊下にある掃除用具入れに向かい、直ぐに箒を取ってくる。他にも数人が箒を持ちに廊下へ。
その間に、C君がむんずと削りカスを手づかみで取り、ごみ箱へ。豪快な片づけ方が実にC君らしい。でも、本当は繊細な心も持っているんだけどね。周囲の子は
「手、汚れてないの?」
と心配してくれたけれど、C君は
「大丈夫。」
と掌を見せてくれた。
数人が片づけを始めてくれたころ、のっそりと箒を取ってきたA君。
「どうして落としたA君本人が遅いんだよ~(笑)」
という突込みも楽しい。
最後までていねいに掃除をしてくれるDさんやEさん。「早い」ことも素敵なことだけれど、「ゆっくり」なのも素敵だ。
片づけを待って、普通に「さようなら」のあいさつ。待っているのが普通になっているのも嬉しい。
正直に言うと、1学期のスタートはトラブル続きだったこのクラス。主な原因はもちろん担任の力不足なんだけれど、でも、この子達はどうにかこうにか乗り越えて、自分達で関係性を作り直してきた。
「優しい」クラスになったなあと思う。
「困っている人を助けましょう」という優しさではなく、「仲間のことを自分のこととして考える」からこそ生まれる優しさ。
一方、私はどうだろう。
同僚が「失敗」をしてしまった時に、何ができているだろうか。
Bさんのように、人一倍早く動けているだろうか。
C君のように、思い切って動けているだろうか。
DさんやEさんのように、ていねいにフォローできているだろうか。
また、自分が失敗してしまった時はどうだろう。
A君のように、人の力を借りることができているだろうか。
そして、それが可能な集団を形成しているだろうか。
なんてことを考えると、私には子供達ほど多様な「優しさ」を発揮できないことを恥じる。子供達に負けている。完敗だ。
敗因は明確。「数」である。
私の教え子達は16人で力を合わている。
それが、私にはできていない。だから、負けるのだ。