知らぬは教員ばかりなり
私の言動がいじめを産み、助長し、拡大させているとしても、私自身にはなかなか気付けない。気付けないから、そんな誤ちを犯してしまうのだ。
それに気付くには、他者の目と声が必要なのだと思う。が、残念ながら、教室は緩やかな密室だ。他者の目も声も、中には届きにくい。
だから、子どもたちの声を聞きましょう!
と言うのは簡単だが、実際には難しい。
9月に函館で藤原さんからされた質問。
「子どもたちの意見で決める、という時に一部の子の声で決まってしまうことはないのか」
ステキな問いだ。大切な視点だと思う。『学び合い』実践者の皆さんは、この問いにどうお答えになるだろうか。
ちなみに、私の答えは
「はい、あります」
だった。子どもたちに聞くと言う時、一部の子の声で決まってしまいがちなのだ。そこに自覚的でないと、その対策がとれない。対策がとれなければ、教員がどんどんいじめの構造を強化してしまうことになりかねない。勘のいい子どもは、それに気付いているだろう。知らぬは教員ばかりなんてこと、結構あるだろうな…。
ちなみに私は、子どもたちの声を聞くだけでなく、自分の実践について定期的に話を聞いてもらうことで、問題点を明らかにし、対策を考えるようにしている。これはネットのつながりより、実際に会える相手が断然効率がいい。ネットだけだと、嘘がつけちゃうからね。