『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

再現性と「誰でもできる」と「誰かとやる」

「この授業は高橋先生だからできるものですよね。あなたしかできないものじゃなくて、誰でもできるものじゃなきゃだめだよ。ちゃんと言語化して、再現性を高めなくちゃ」

今まで何度となく言われたことだ。

再現性は大切だろう。私も発信する場を与えていただくこともあるので、一応は再現性についてそれなりに考えている。

しかし、「再現性が高い」ことと「誰でもできる」ことは、私の中では全く別のことである。

『学び合い』は再現性の高い理論だと思っている。しかし、誰でもできるものではない。

「学びのカリキュラム・マネジメント」も再現性の高い実践だと思っている。しかし、誰でもできるものではない。

その実践の「やり方」が整理されていて、教育的効果もある程度検証できているとしても、そう簡単には真似できない。私が『学び合い』を始めた当初、今は公開されていない「手引書」の通りにやったら、手引書に書かれている通りの現象が起きたことに驚いた(新潟の宇宙系女子Kさんも同じことをおっしゃていた)。しかし、『学び合い』は難しい。手引書の通りにやる。本に書かれている通りにやる。それは、簡単なことじゃない。

「学びのカリキュラム・マネジメント」もやり方はシンプル。再現性という面では、みゆき会の3人だけじゃなく、各々が同僚とも一緒にやっている。ご自分がまとめた実践記録を送ってくださった方もいる。効果も自信がある。が、誰でもできるとは言えない。

 

一方で、「やり方」が容易で「一見、再現性が高そう」でも、その教育的効果に疑問符がつく実践も時々目にする。それをやって子供たちは伸びるの?力は付くの?人格の完成につながるの?将来の幸せに役に立つの?そういった逡巡もなく承認欲求に身を委ねているかのような発信に対しては、否定的な方の言い分もよく分かる。

だからこそ、私は現場の実践は、多くの人の目に触れることが「検証」の代わりになるとも思っている。

「これいいね!」

という声だけじゃなく、

「これおかしいよね?」

という声にも耳を傾けて。

私は学術的な検証はできない。データも取れない。再現性があるか否かを一人で検証するって難しい。だから誰かとやるしかない。仲間が必要。

「一人じゃなくて、誰かとやる」

結局は、そこに行き着くのだな。