心
以前、『学び合い』の会で「模擬語り」に挑戦したことがある。参加者さんを前に「私は年度当初に、こんなことを語りました」というのを実際にやってみたのだ。
が、結果は大失敗。後悔しか残らなかった。言葉が上滑りして、アニメにゲスト出演した芸能人のような「棒読み」だった。
そうなった原因は、月並みな言い方だが「心がこもってなかったから」だろう。何を言うか、ではなく、目の前の子供達に何を伝えたいか、なのだ。この経験から、語りは心なのだと、心底納得した。
もしかしたら、「模擬・語り」を何度か練習したら「心がこもっている風に語る」コツを掴むかもしれない。そして、模擬語りの場だけなく、子供達の前でも「心がこもっている風に語る」ことができるようになるかもしれない。が、それは授業ではマイナスに作用する可能性がある。子供達の中に「この先生は、心がこもっている風に語っているけれど、本当は心がこもってないな」と見抜く子がいる可能性が大だ。
心が大切。心があるか、ないか。なんて書くと、嫌悪感を抱く方もいるだろうけれど。特に、子供達へ自分の語りが届かない、と苦しんでいる方には「心がないからだ」と受け取られてしまうかもしれない。
でもね、心があっても届かない場合もあると思っている。例えば、教員が本心とは違うことを言葉にし続けている場合。子供達は言葉に現れているものと、言葉以外から伝わってくるものの差異に戸惑い、不信感を抱くようだ。
もちろん、今ある心を伝える為にもっと技術を磨きたい!という方もいらっしゃるだろう。確かに技術はあった方がいい。でも、本物の技術は一朝一夕には身に付かない。
だから、私は、小手先のワザで誤魔化すよりも、「子供達に心から伝えたいことは何か」を見つめ直すようにしている。