『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

じゃあ、目立っちゃってもいいの?

昨日は、「一人ぼっちの子を目立たなくするのではなく、『一人ぼっち子を放っておく』状態を乗り越えさせるのが教員の仕事でしょ!?」ということを書きました。

でも、それを聞いて「じゃあ、一人ぼっちの子がめちゃくちゃ目立っちゃってもいいの!?」と感じる方もいるでしょう。それも当然の考えだと思います。それが目立っちゃったら、その子も辛いし、それを見ている私だって辛いですよ。学級づくりの最初期は「一人の子」がいますから、私は教室にいるのが辛いです。『学び合い』なんてやめてやる!教員なんてもう嫌だ!と感じるくらいに辛いです。

 

辛いので、それを緩和する策を、色々やっています。今まではそういう「テクニック」的なことを隠してきたのですが、今日はちょっとだけ書こうと思います。

 

クラスに一人ぼっちの子がいたら、どうするか。

まず、4月の段階で、学級全体に対して「別に一人でやってもいいんだよ」という話はしておきます。「ちょっとくらい誘われても、一緒にやりたくない」という子が目立ち過ぎないためです。「大切なのは、最終的に全員が課題を達成することだから、時には一人でやる時間もあっていいんだよ」と話します。これは、建て前ではなく本音です。「おしゃべりして全然勉強が進まないんだったら、そんなグループは“仲が良い”とは言えないよ。お互いの力を高め合えるのが本当の仲間じゃないか!」という話もします。仲良しグループ作りが目的じゃないんだ、目標を達成できるチームになるのじゃ!という話も繰り返しします。それによって、クラスの中に「一人でいることは、必ずしも悪いことではない。むしろ、形だけの仲良しが悪なんだ」という共通認識を早く(と言っても三か月くらいかかるかなあ)作りたいですね。

その上で、「じゃあ、“良い一人”と“悪い一人”ってどこが違うのか」という話も繰り返します。この基準は簡単で「課題が達成できているか、いないのか」です。私の経験上、一人の子を放っておくと、学級全体のテストの点が下がります。特に中間層の点数が下がります。なぜかと言うと、「つながりが弱い中でも満点を取れる子」は一部なのです。中間層は教えたり教えられたりする関係性の中で、力を伸ばします。ですから、テストの後には分布表を示しながら「80点、85点の人が、90点、100点になるには、60点の人を引き上げることが大切なんだよ。ここ(60点)の人を80点にするための頑張りが、ここ(80点)の人を100点に伸ばすんだぜ」ってしつこく語っています。6年間の実践で実感していることです。

次に、4月当初は、「全員が3人以上に説明できる」という課題を多用します。「考えるのは一人でもいいけれど、でも、説明はちゃんとしてね」と求めるのです。もちろん、自分から説明できない子もいます。けれど、そういう子にも「ぼくの説明、聞いて!」とやってきてくれる子がいるはずです。「ぼく、3人じゃなくて、10人に説明した!」「私は全員に説明した!」みたいな。過去にやってしまった過ちは、そういうパワフルな子に「その説明で、本当に相手は分かってくれたと言えるの?」みたいなことを言って、動きを止めてしまったこともあります。これはイマイチな言葉かけでした。パワフルに動き回る子が「関係性の壁」を壊し、慎重派が「より良い説明」を広める。そういう多様性を求める方が良いクラスになりますね。まずは関わりの量を増やさないと、質も上がりませんから。で、「まだ説明できてない人もいるから、聞いてあげてー」ってクラス全体に言います。その時セットで「自分から聞いて!って言うのが得意な人もいれば、苦手な人もいるさー。みんな同じだったら気持ち悪いよー」とも語ります。「自分から説明する人が偉い!」みたいな価値付けは絶対しません。自分から説明する人もいれば、よく聞く人もいる。次々にさっさと回る人もいれば、じっくり説明する人もいる。違うのが素敵。みんな同じは気持ち悪い。そういう多様性を是とする集団だからこそ、引っ込み思案な子も地を出せるようになるんだと思っています。

さらには、1学期には「壊しやすい壁から壊す」ようにします。多くの学級は、関係性が固定的です。「男女の壁」だったり「スポ少の壁」だったり。決まった数人としか関わりません。まずは、そこにメスを入れます。なるべく多くの子が関わる壁が壊しやすいでしょう。代表的なのは、やっぱり男女の壁ですかね。「このクラスって、男女の壁があるね。早く壊してね」と全体に求めるのです。全体の流動性が高まらないと、一人ぼっちの子を救う手が足りなくなる場面が多いのです。

 

でも、一番は、クラス全体に求めることです。正攻法です。

「このクラスに、一人で寂しいって感じている人がいると思うんだよ。俺は、それを目立たないようにしてあげることはできるよ。でも、寂しさを消すことはできない。だって、こんなおっさんと友達になりたくないでしょう?毎日、俺が遊びに行ったらいやでしょう?だから、みんながやるしかないんだよ。

一人でいたいから一人でいるのか。本当は一人が寂しいのか。それを分かってあげられる力って大切だよ。それを持っているクラスなら、自分も一人で寂しい思いはしないよ。

だから、このクラスから一人ぼっちをなくそうよ。それがあなたの幸せにつながるよ」

と語ります。が、この時にポイントがあります。それは、絶対に「一人の子を見ながら話さない」ということです。その子を変なタイミングで見つめちゃうと、教員が「あの子が一人ぼっちの子です」とお墨付きを与えることになります。そんなの辛すぎる!!!だから、私は「その子」を見て話しません。その代り、全員の目を順番に見ます。こっちを見ていない子がいたら

「な、○○。そう思わない?」

と聞いて、目を合わせます。あー、聞いていないなあと思ったら、

「そう思わない?一人ぼっちなんて嫌でしょ?だったら、誰も寂しくないクラスを作ろうよ。ね、○○もそう思わない?」

なんて風に、短く確認します。最後には

「ちゃんと聞いてくれてありがとう。先生は馬鹿だから何度も同じことを話すけど、許してね。大切だと思うことは、何度も話すから。きっとまた同じことを言うと思う。でも、聞いてほしい。あなた達全員に、幸せになってほしいんだよ」

と言って締めます。本当に何度も語ります。3分以内を目標に(長くなると聞かない子が増えるので)。でも、その代り、何度も。どんなに語っても、緩みます。放っておくと人間は「3~4人」の小グループでまとまってしまいます。それが本能なんでしょうね、多分。だから、時々確認しないといけないんです。

 

やっぱり最後には、本音を伝えて、子供達に任せるしかないんですよ。教員一人では限界がありますから。