『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

難しいよね。

日本中の『学び合い』の教室に「動けない子」がいることと思います。「動けない子」を大雑把に分けるなら、「分からなくても聞きにいけない子」と「分かっているけれど教えにいけない子」の二通りでしょうか。

教員は「聞きにいけない」タイプに同情的です。私もそうです。心から「がんばれ~!大丈夫だ~、誰も分からないことを馬鹿にしたりしないぞ~!」と応援しています。そういう子は大抵の場合、自分を「駄目な存在」と認識しています。少なくとも私が出会った「聞きにいけない子」はその傾向が強くありました。そんなことで、自分を駄目だなんて思う必要はないのですよ!!

でもねというか、だからと言うか。もしかしたら「教えにいけない子」の方が心配が大きいような気もします。

「聞きにいけない子」は「自分は駄目だ」という勘違いから逃れられれば、道が拓けるでしょう。内向性や内気な性格は個性です。学校でそういう性格でも生きていく術を学んでいけばよいのです。また同時に、学校で「内向的な自分」を受け入れてくれる仲間を得させてあげたい。集団はきっと受け入れてくれます。

「教えにいけない子」が心配なのは、仲間とつながらなくてもある程度できちゃうから、つながりの必要性を認識しにくいこと。教えるのは「恥ずかしい」「自信がない」「面倒くさい」でも、「ある程度できているから、まあ、大丈夫だろう」と考えている。だから、「自分は大丈夫」と思っている場合が多いでしょう。この、大丈夫と思っている点が心配です。まあ、そう思わせてしまう土壌が、現状の学校には数多くあるのですが。学校ではよくても、自分ができていれば、周囲(特に後輩や部下)が困っていても責任を問われない仕事って、そんなに多くないように思います。ぜひ、自分から関わる経験を学校でできるだけ多く積んで欲しいものです。

とは言っても、そういう子にとっては、教えるってハードルが高いでしょう、「聞けない子」が聞きにいくのと同じくらいに。だから、教員が「なんで教えないんだ!!!」と怒っても効果はなさそう。一番効果的なのは本人がその気になることかもしれませんが、これはなかなか難しいでしょう。私が最も多く目にするのは、周りに巻き込まれるようにして、「気付いたら教えてた」というパターン。周りが教えるのが普通になれば、徐々に変わっていきます。

 

何事も、集団の力を借りるのが一番ですね、やっぱり。