『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

選んでもらえる

ちょっと考えれば当たり前のことですが、授業とは「やり方」を統一すれば同じ成果が出るわけではありません。授業者の力量、学習者の個性や生活経験など多くの要素に左右されます。 

が、若い先生に助言をする時には、自分の経験をもとに「こうすればいい」と決めつけたり、ひどい時には「こうすべきなのに、なぜやらないんだ」と高圧的に迫ったりしてしまうこと、ありませんか?私は時々あって、はっとします。相手の「言われても出来ない」苦しさに気づくと申し訳なくなります。もちろん、これは私なりの善意からの行為ですが、まさに「小さな親切大きなお世話」ですね。こういうことって、私だけじゃないでしょう。

 

もちろん、若い先生に何もしないのが良いとも思いません。今後増える(と言われてきたけれど、福島県の場合は避難に伴う児童数の減少や再任用などで言われていたほどは増えないけど、まあまあは増えるであろう)若手教員のために、何らかの手助けをする必要はでてくるでしょう。でも、それは、自分が行なってきた「やり方」を半ば強制的にやらせることではないはずです。

 

じゃあ、どうするか。それは、私の中では答えが出ています。どんな授業をしたいのか、誰から学びたいのかを若者に選んでもらうのです。

普通は、学年主任とか指導教諭とか「だれが指導するのか」が決められています。これは制度上、仕方ないでしょうし、その中でも役に立つものは多いでしょう。けれど、そこで指導されたことと、若者が自分で「知りたい」「学びたい」というものとでは、どちらに身につくか。ちょっと考えれば分かるはずです。

けれど、多くの方は「それは無理」と言うかもしれません。ある人は「何も知らない初任者が、誰から何を学べばいいかなんて決められないだろう」と言うでしょう。ある人は「同じ学校に学びたい人がいるとは限らないだろう」と言うでしょう。ある人は「聞かれた人の仕事量が増える」と言うでしょう。まあ、そう考える人がいることも分かります。が、私は、クラスの中で主体的に学ぶ子供達を見ているので、確信を持って言えます。自分で選べることの効果は絶大です。

小学生だって、限られた人数の中で、教え教えられながら互いに高め合えるのです。教員ができなくてどうするのでしょう。最近の「流れ」を見ていると不安になるのが、「正解」が一つに絞られ、若者に選択の余地がなくなっていくことです。強制や命令で人は育ちませんし、良い授業ができるとも思いません。お仕着せの指導より主体的な学びが重要であることを教員が体現せずに、授業で「主体的・対話的で深い学び」を実現できるわけがありません。

 

ですから私は、「若者から選んでもらえるおっさん」になりたいのです。同僚から「高橋先生のクラスみたいな授業をやってみたいです。教えてください」と言ってもらえたら嬉しいなあ。真似してもらえないのは、それは私の授業が魅力がないからなのです。