『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

何のための場か

私が子供たちに度々語ることに「学校は学ぶための場である。だから、一生懸命に学ぶ方が学校を楽しめる」という話がある。別に勉強が何よりも大切なわけではない。もし、サッカーチームの練習中にグラウンドで教科書を開いていたら邪魔だ。ふざけて遊んでいる人と同じくらい迷惑。サッカーをする場ではサッカーが楽しい。スイミングスクールのプール内で漢字を書くなんて本当に迷惑。ピアノ教室で音読なんてやめて欲しい。泳いだり、ピアノを弾いたりするのが楽しい。「学校では一生懸命に学ぼう。そうすれば楽しめるし、その中で仲間を得ることができるのだよ。騙されたと思って、学んでごらん。楽しいぜ」そういう“方便”である。

私の実感としては、やっぱり学校では勉強を頑張らないと、良い仲間には恵まれない。というか、そういうクラスを私は作る。
一方で、「勉強しない人が中心になるクラス」を見ることが増えているし、そういうクラスを引き継ぐことが増えている。「勉強」より「とりあえずの仲の良さ」を優先する。私はその原因を過剰なアンケート主義が作っていると感じている。勉強しない子がスクールカーストの天辺で踏ん反り返っているクラスのなんと多いことか!もちろん私はそんなものは崩すのだけれど、その時に最後まで維持しようと抵抗してくるのは、天辺にいた子ではなく、そのちょっと下、ナンバー2や3にいた子である。その必死の抵抗を見ると、毎年、申し訳なく思う。

その子たちの状況は年度が違っても、クラスが違っても、驚くほど似通っている。トップの子はどうやってトップになったかというと、教員がその子を担ぎ上げたのである。不適切な関わりにより、勉強しない、周囲に迷惑をかける行為を必要以上に目立たせる。「活躍の場を与える」と言って、大きな行事で大きな役割を与える。授業も、その子の好みに合わせて実施する。学習指導要領よりも優先させているケースも散見する。法的拘束力のある指導要領よりも上にしちゃうんだから、アンタッチャブルな存在。わがまま放題に騒いでいるだけで、教員の力でスクールカーストのトップに立ったのだ。一方、ナンバー2や3の子は、頑張ってその地位に着いた。本当はダメだと分かっているのに、勇気を持って騒ぐ。トップの子は教員に怒られないのに、自分は怒られることも少なくない。トップの子の「子分」として理不尽な扱いを受けることもある。それでも我慢し、努力に努力を重ね、スクールカーストの上位にたどり着いたのだ。それが、新しく担任となった男は『学び合い』なんてものを始めて、その努力を水の泡にしようとする。今まで下に見ていた人たちが、どんどん活躍していく。いじめていた相手に「どこが分からないの?教えるよ?」なんて聞かれる。それが嫌なわけではない。でも、なんだか釈然としない。こういう子の心情の最大公約数をまとめると、まあ、こんな感じかな。当たらずとも遠からず、だろう。

書きにくいことを書いてしまうが、そういうクラスを作ってしまう学校は、職員室も似たような状況だ。「仕事」よりも「とりあえず仲良くすること」を優先する。職員室版スクールカースト上位の教員の意見が優先され、下位の教員は疎んじまれる。校内人事も、カースト上位の教員の希望が優先される。ちなみに私は、カーストの「枠外」にはみ出すことが常である。気楽だとも言えるが、寂しくもある。
寂しさは我慢するとして、若い教員を育てようと考えた時には、この状況が非常に邪魔だ。そういう職員室においては、若者は職能を伸ばすことよりも、人間関係調整力を発揮することに尽力する。カースト上位の先輩教員は、若者が自分におもねる行動を「成長したな」「お前も分かってきたな」と褒める。ますます若者は、人間関係に気を遣う。その結果、教室ではヘロヘロまたはガミガミ、職員室では笑顔で(誰に対してかは書かないけれど)悪口を言い、飲み会で生き生き。そんな若い教員を何人も見てきた。同時に、人間関係調整力に難があるために、ハラスメントに会う若者もいる。以前、組合の役員をしていた時には、そういう若者を助ける活動もしてきた。あちこちで見るんだから、これは個人の問題というより、もっと根が深いのだろう。

人間関係は大切だ。仲が良いことが悪いのではない。でも、「仲良くすること」を目標にした場合、「仲が良い振り」ができてしまう。本当は仲が悪くてもね。ミッションを課されない集団は、易きに流れ、低いところで停滞し、腐っていくのが常だから、表面的な仲の良さの裏は、目も当てられない状況が生じていく可能性が高い。一方、「仕事ができた振り」は難しい。でも、良い仕事をすることを目標にし、それが達成できた時に得られる充実感は、仲の良い振りなんかでは到底得られない素晴らしいものだ。私も過去に何人か「良い仕事を一緒にした同僚」がいるが、そういう仲間は転勤しても繋がっている。だよね、えっちゃん!奥山くん!

教室は学びの場。職員室は仕事場。当たり前のようで、当たり前になっていない。だってさ、職員室で「授業の話なんてしない」人も多いでしょ?休校中、どれだけ授業の話をした?新しい学習指導要領について話題になった?したとしても、それが当たり前になってる?

そういうことなのだ。