オンラインと手放せないということ
オンライン授業について、考えなくてはならない局面だと思います。もちろん、もっと前から私も考えていました。色々と調べてもいます。が、やっぱりオンライン授業でも「教員が喋っている」イメージが主流のようです。
私が考えるのは、私が喋らなくていい授業です。それは普段の授業でも、オンラインでも同じこと。メールやプリントで指示を出し、メールやプリントで報告してもらえればいいなあ。(2年生担任なので、完全にメールだけでのやり取りは、イメージしにくいのです)
多くの方が指摘しているように、既に様々な授業動画が世に溢れていますから、それらを利用しないともったいない!例えば、「この動画と教科書○ページを見て、○○について分かったことを5こ書こう。」という授業ならすぐにできます。2年生なら「つぎのことがあっていたら○、まちがっていたら×をかきましょう」でもいいかも。算数も「教科書○ページの問題をとこう。やり方はこの動画やこの動画を見よう」でできそうです。私が解説しなくていい。
オンライン授業=私が喋らないと!!
って時点で、やっぱり教員は自分が主体でありたいんだよね。
ただ、悩ましいのは、「一人も見捨てず」に子供たちがつながれるかどうか。「LINEや、ボイスチャットを使ってつながっていいよー」というのは簡単なのですが、それだと「一人も見捨てない」を求めるのが難しそうです。機器を持っていない子もいますから。
こういう問題を解決するには、『学び合い』の理論としては「結果で判断」しかないのも分かるんですけれど、最初の結果が出て、改善を求めて、次の課題を出し…というサイクルが長くなりそうです。学校のように45分で回せない。そうなると、私は「助けてもらえない子が苦しんでいる姿」を想像して、耐えられなくなります。
やっぱり、一人も見捨てないためには、現時点では、人が集まれる場が必要なんじゃないでしょうか。それを「学校」と呼ぶ必要はないし、強制である必要もないけれど、でも、子供たちが集まれる場は必要だと感じます。
と思ってしまう時点で、私も手放せていないものがたくさんあるのですよね。
きっとそれは誰もが同様で、それぞれの手放したくないものに縛られて生きているのでしょう。