『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

オンラインと手放せないということ

オンライン授業について、考えなくてはならない局面だと思います。もちろん、もっと前から私も考えていました。色々と調べてもいます。が、やっぱりオンライン授業でも「教員が喋っている」イメージが主流のようです。

私が考えるのは、私が喋らなくていい授業です。それは普段の授業でも、オンラインでも同じこと。メールやプリントで指示を出し、メールやプリントで報告してもらえればいいなあ。(2年生担任なので、完全にメールだけでのやり取りは、イメージしにくいのです)

多くの方が指摘しているように、既に様々な授業動画が世に溢れていますから、それらを利用しないともったいない!例えば、「この動画と教科書○ページを見て、○○について分かったことを5こ書こう。」という授業ならすぐにできます。2年生なら「つぎのことがあっていたら○、まちがっていたら×をかきましょう」でもいいかも。算数も「教科書○ページの問題をとこう。やり方はこの動画やこの動画を見よう」でできそうです。私が解説しなくていい。

オンライン授業=私が喋らないと!!

って時点で、やっぱり教員は自分が主体でありたいんだよね。

 

ただ、悩ましいのは、「一人も見捨てず」に子供たちがつながれるかどうか。「LINEや、ボイスチャットを使ってつながっていいよー」というのは簡単なのですが、それだと「一人も見捨てない」を求めるのが難しそうです。機器を持っていない子もいますから。

こういう問題を解決するには、『学び合い』の理論としては「結果で判断」しかないのも分かるんですけれど、最初の結果が出て、改善を求めて、次の課題を出し…というサイクルが長くなりそうです。学校のように45分で回せない。そうなると、私は「助けてもらえない子が苦しんでいる姿」を想像して、耐えられなくなります。

やっぱり、一人も見捨てないためには、現時点では、人が集まれる場が必要なんじゃないでしょうか。それを「学校」と呼ぶ必要はないし、強制である必要もないけれど、でも、子供たちが集まれる場は必要だと感じます。

と思ってしまう時点で、私も手放せていないものがたくさんあるのですよね。

きっとそれは誰もが同様で、それぞれの手放したくないものに縛られて生きているのでしょう。