『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

今、やらないと。

公務員を退職し、私立校へと転職して間もなく4か月になる。新しい勤務校は、小学校も教科担任制であり、小・ 中の連携として中学校の国語も担当している。

福島県と宮城県、公立と私立、小学校と中学校。 多くの教員よりは、ちょっとだけ多様な経験ができていると思う。

その中で、私が大切にしてきたのが、「相違点」よりも「共通点」である。

 

多くの人からは、相違点についてばかり言われる。 私が外に出してきた実践は公立校勤務時のものなのに、「 私立だからそう言える」なんて言われたこともある。過去には「 あなたの授業は、中学校ではできない」と言われたこともある。

私立と公立では「違う」。

小学校と中学校では「違う」。

あなたの勤務地と私の勤務地では「違う」。

そりゃそうだろう。だけど、違うのは当たり前で、 そこからもう少し、物事を深く考えてみると、 見えてくるものはないだろうか。

例えば、学級担任制と教科担任制で同じ「形式」 ではできないのは認めるけれど、同じ「スタンス」 で授業をすることは可能だと、この三か月でよく分かった。 同じスタンスとは、「集団は信頼に足るが、愚かでもある」 ということだ。また、 教科担任として自分が担任ではないクラスであってもプラスの作用をもたらすことはできる、 という思いは小学校で理科専科をやった時と何ら変わらない。 これは、集団を動かす理論に関わることだ。

 

自分は何をしたのか、何ができなかったのか、何がプラスになり、 何がマイナスになっているのか。 自分の実践を丁寧にめくっていくと、「ああ、ここは一緒なんだな」 というものが見えてくる。私は自分の実践を以前よりもシンプルにとらえることができるようになっ た。

 

同時に、ちょっと難しい問題も見えてきた。

県が違っても、公立でも私立でも、小学校でも中学校でも、 共通した「問題点」が見えてきたのだ。

25年前、私が学生の頃には「発達障害」 は今ほど注目されていなかったと記憶している。それが「 いわゆる学級崩壊」とセットのような形で、 学校現場でも段々と注目されるようになり、10年くらい前から「 何でもかんでも発達障害のせいにするな」状態になってきた。 学級の半数近くを審議会に出す、 なんていうとんでもない教員を何人も知っている。 それは勉強不足だともいえるけれど、その根っこには、 非常に都合のよい言い訳が見つかった( それは全くの的外れではない、という意味で都合がよいのだ。) という安心感があるのだろう。

その後、その反省なのか反動なのか分からないが、「 ユニバーサルデザイン」や「合理的配慮」 という動きがでてきた。 私はそれを非常に好ましいと思っていたけれど、悲しいことに、 これがマイナスに作用してしまっているケースも散見する。

今は「愛着障害」が注目されるようになってきた。きっとこれも、 しばらくたつと、 発達障害の時と同じような流れになるんだろうと思っている。 つまり、愛着障害が、 今起きている教室の問題とセットのような形で段々と注目されるよ うになり、「何でもかんでも愛着障害のせいにするな」 状態が多発する。現時点で、極少数のアンテナの高い教員はその問題点に気付いているし、 せっかちな私のような人間は、既にその対応策を練っている。

ちなみに、従来の学級崩壊については、 そこそこ高いレベルで対応をしてきたと自負している。 今、あちこちの学級で起きている問題について、「 今までとの違い」をはっきりと認識したのが4年前。 それから必死にしわの足りない脳みそで考え続けてきたし、 自分の実践を組み直してきた。

 

ということで、この夏は、 それをまとめようとうと必死にもがいている。

今は世のほとんどの人が気付いていないから「時期尚早」 なのも重々承知だ。でも、 多くの教員がこの問題に気付いてからでは、手遅れになる。その前にやるしかない。