「愛」の問題にすると難しい
金曜日から取り掛かっている原稿を一度書き上げたのですが、大幅に書き換えました。最初に書いた原稿には「愛」について書いたのですが、やめたのです。
私は、教育とは「愛」が必須の営みだと思っています。でも、時には「愛」が言い訳に使われてしまうこともあります。
- 愛の鞭
- お前たちのことを思っているから、俺は厳しく指導しているんだ!
というように。
あなたの指導がうまくいかないのは、愛がないからだ。
と言われたらきついですし。
ということで、すっかり書き直しました。最初よりも分かりやすい原稿になったかな。でも、削ったこの言葉が少々惜しいので、ここに載せておきます。
私は、児童を下に見ていません。「指導する対象」とも思いません。
私は児童を仲間だと思っています。同志だと思っています。
この感覚は、震災の時に感じたものです。
あの大惨事を一緒に生き抜いた仲間。復興を共に成し遂げる仲間。
そして、未来を託す大切な仲間。
愛すべき同志なのです。
ですから、大声で叱り飛ばす、なんて指導は絶対に誤りです。
ダメですね、こんな文章(笑)暑苦しい!!ボツにして正解だ。
一方で、最近はちょっと「熱」を抑え過ぎているようにも感じています。この熱は、違うところで出すつもりです。