『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

指導する?支援する?助言する?

ふと思い出したことです。
少し前に「指導か、支援か」という話を聞いたことがあります。
教員は児童に対して「指導」すべきなのか、それとも「支援」すべきなのか、そんな話だったと記憶しています。
「教員は指導はせずに、児童の自主性を尊重し、児童や学びたい学び方で学べるように、支援していきましょう。」
なんてことも聞いたことがあります。一方で、
「教員は、指導すべきことはしっかりと指導しなくてはいけない。」
という言葉も聞いたことがあります。

その時はどっちも「そういうものなのか」と思って黙って聞いていたのですが、それから数年(いや、10年!?)経って、今では「変な話だな」と感じます。指導と支援は「どちらが大切か」なんて話じゃないでしょう。

指導もするし、支援もする。

ただそれだけの話です。そして、何が必要かは、集団の状況を見て判断しなくてはいけないのだと思っています。教員は、「指導力」も「支援力」も磨かなくてはいけないのですが、同時に「判断力」が何よりも必要です。そして、判断力の向上には「経験」と「振り返り」が不可欠なのだと思っています。

 

こんなことを思い出したのは、あることで「指導助言」について考えたからです。教員の世界には「指導助言」と言いつつ、「訓示」「お説教」「駄目だし」または「自慢話」になっている場合を多々見聞きします。

多分、学校文化において「指導」が、「そういうもの」だと広く認識されているのでしょう。
なんだか残念です。

私にとって最も大切な「指導」というか「支援」というか「助言」というか、まあとにかく子供たちに伝えているのは、「あなたはもっとできるよ」「ここはもっと伸びるよ」と期待し、求めること。そして、「ここまでできたら素敵じゃん!」と夢を語ること。

これって、指導?支援?助言?どれでしょうか。私は、この「もっと!」というのは、『学び合い』における「課題提示」であり、「評価」なんだと思っています。