多様性と主体性
子供たちは多様である。
これに異を唱える人は少ないだろう。子供たちは各々が多様に感じ取るし、多様に考えるし、多様に行動する。皆が同じだったら、気持ち悪い。
主体的な学びが大切だ。
という意見も多く聞く。多様性が大切だと言う人と、主体性を大切にする人は重なっている印象がある。子供たちは多様なのだから、一人一人が主体性を発揮して、それぞれ個に応じた学びを行うべきだ、という意見だろう。ちなみに、私もその中の一人だと思っていただいて差し支えない。
でもね。ここで疑問が生じる。
子供たちは多様なのだから、主体的に行動する時に、全員が「学ぶ」という一律の行動を取るのは、おかしいのではないだろうか。
「学ぶ子もいれば、学ばない子もいる、それが自然なんじゃないの?子供たちは多様なのだから、全員が学んでいるなら、主体的に学んでいるように見えても、そこに強制があるんじゃないの?」
そんな疑問だ。
私は、この答えを、『学び合い』の理論と、みゆき会の実践で見付けた。
『学び合い』の理論で考えれば、一人一人をコントロールすることは無理でも、集団の方向性を決めることはできる。
そして、みゆき会の実践をとおして、人は「学びたい欲求」を持っているのだと確信した。
私が、流動型『学び合い』の授業ができるのは、学びたい欲求が強い子の力を借りて、集団の方向性を決めているからだ。
人は、衝動的に学び合う。それが、現時点での私の答えである。これをいつか、ちゃんとまとめておきたいな。