『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

周囲の目

訳あって、毎日、お勉強しております。そのため、ブログがあまり更新できておりません。

その分、思い付いたことは、ちょこちょことTwitterに書いています。最近では、このTweetに少々反響がありました。

10年前と比べて、落ち着かない子の数が増えていると感じます。落ち着かなさの質も変わり、指導が難しくなっているとも感じます。少し前に、文科の調査結果から、坂内さんが問題提起をしていましたが、小学校では、ここ数年で、対教師暴力の件数が大きく増えています。私も「今までと同じ方法論が通じないな」と感じる状況が多々あります。

さらには、今回のコロナウイルス感染防止に関わる休校や様々な変更等に伴い、苦しさが増すでしょう。先日のみんなde『学び合い』フォーラムでもちょっと話したのですが、来年度以降、顕著になると予想しています。例えば、行事。なくなって喜んでいる教員がいます。児童もいます。保護者もいます。それらの方々は、来年度以降もなくていいと感じているでしょう。一方、復活して欲しい教員がいます。児童もいます。保護者もいます。急いで戻さなくちゃ!と本気で感じています。それぞれ思惑が異なり、それぞれの正しさがあり、小さいけれど数多くの分断が生まれそうです。その分断を乗り越えられる学校が、日本中にどれくらいあるでしょうか。私には、大丈夫と言う自信はありません。

 

私のクラスは「落ち着かない子」が居てもなんとかしてきました。これからも大丈夫という自信はありませんけれど。今のところ何とかなっているのは、私一人で何とかするのではなく、子供集団という強力な味方の協力があるからです。逆に言うと、子供集団の理解と協力がなかったら、お手上げです。
でも、多くのクラスではそうはいかないのも理解しています。私は自分の能力の限界を自覚していますから、子供たちにも同僚にも「皆さんの力が必要です。助けてください」と言えます。でも、言えない人もいるようです。自分に自信があって「全部任せろ!」という人も少々見ますが、そうではなく、「助けて」と言ってはいけないと感じている人もいるようです。それは、周囲の目を気にして。

今の学校は、皆んな、いっぱいいっぱいです。だから「私一人では無理です」とか「助けてください」という態度は歓迎されません。「チーム学校」という言葉が「だから、自分の役割は自分の責任でしっかり行ってください」という方向に使われているように感じます。若い先生も、ベテランの先生も言えません。ちなみに私は数年前、学級担任をしながら教務主任をしていて、さらには片道80分かけて通勤していた時に、「ある事情のある子の家に毎日家庭訪問すること」をやんわりと命じられたことがあります。

「無理です。できません」

とはっきり答えました。そんなことをしたら、学級が壊れますから。その子を見捨てることはできませんから、その時は福祉の力を借りました。SCさんや管理職や教育委員会にも散々お世話になりました。結果として、私が毎日家庭訪問してもどうにもならないようなことが、一応は解決しました。「一人も見捨てない」とは「何でも自分で頑張る」の真逆なのです。顰蹙を買おうが何だろうが、一人も見捨てないためには、私は何でもします。

私と違い、こんな理不尽な仕事を頼まれても、多くの人は断りません。管理職の目、同僚の目、保護者の目、そして、児童の目を気にして、弱い自分を出さないように一生懸命な姿を見ると、同情半分、申し訳なさ半分、といった心境になります。逆に、子供集団という味方を得て仕事をしている私を見ると、「楽しそう」「あんなクラスを作りたい」と思ってくれる人もいる一方で、「高橋は楽なクラスを担任していていいな」と言われたこともあるし、「羨ましい」「腹が立つ」「イライラする」と敵意を向けられることも少なくありません。そんなこと言われても困っちゃいますけどね。それより悲しいのは、「私には無理だ」と落ち込ませてしまうことですね。私の姿を見て、落ち込む人がいるというのは、本当に辛いものです。

 

でも、私だって、周囲の目を気にしているような、余裕はありません。精一杯やらないと乗り越えられない難局が、これからも続いていくのですから。