『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

追い立てられている

学校に余裕が無さ過ぎる。
いつも何かに追い立てられるように仕事をしている。

そう感じている教員も多いだろう。そういう私も、何だか焦りながら仕事をしている感覚を、ここ数年はずっと抱いている。
何年も前に、授業の評価は相対評価から絶対評価になったけれど、でも、全国学力テストは平均点を他県や他校と比較され、人事評価はAは何人、Bは何人と予算の都合で決められているから結局は相対的に評価されて、さらには最近流行りの某県の学力テストでは「児童・生徒が前年度からどれだけ伸びたかを見る」と言いつつ、「この教員は○%の児童を伸ばしたが、この教員は□%しか伸ばさなかった」と結局は比較される。教育と競争は非常に相性が悪いと私は考えているし、世の中の大半もそういう考えのように見えるのだけれど、でも、一皮剥けば、あっちもこっちも競争だらけだ。

 

教育と競争の相性の悪さは、競争によって人をコントロールしようとする点にあるのではないだろうか。
競争させれば、負けたくなくて一生懸命にやるだろう、という安直な考えが見える。また、競争させても一生懸命やらない人には、罰を与えようとするのも、よくある話。ご褒美よりも罰が多いんだよねえ。褒美なんて要らない!という人は一定数いるから、罰を与えたくなるんだろうなあ。

でも、教育の目的を

教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。(改正前の教育基本法 第1条)

と考えるなら、やっぱり競争とは相反するものだと、私は考えてしまう。(余談だけれど、『学び合い』の授業開きでは、教育基本法の第1条について話すのが定番とされていたが、今でもその話をする人もはどれくらいいるのだろうか。私は毎年しているけれど。減っているのかな?最近、そういう『学び合い』の定番的な話をする機会がないので、ちょっと気になります。)

 

私は、余裕のなさや、何かに追い立てられている焦りから、子供たちを守る防波堤になりたいと思っている。世の中の理不尽な面も伝えつつ、それでも将来を見据えて、幸せに生きていく力を伸ばす余裕を生み出していきたい。どこまでできるか分からないけれど。