『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

「人それぞれ」なのは分かっていたつもりだけれど

私は、ちょっとぐらい苦労をしてもいいから、自分の職能と成果を上げたいと思って仕事をしてきた。他の人の苦労を正確に把握できないので、人と比べてどうかは分からないが、私としては、自分なりに腕を磨いてきたつもりだし、その労力と比して十分だと感じられるくらいの評価をいただいている。私は果報者である。
一方で、自分の限界にも気付く。今年は、転職&一人暮らしで自分の生活を何とか保つことにエネルギーを使い、仕事の面では反省ばかりだ。心の片隅に「俺が全力で仕事できたら、こんなもんじゃないぜ!」という小っ恥ずかしい気持ちが湧いてしまうが、まあ、冷静に考えれば、虚栄心にすぎないと自己分析している。

 

そんな私だからこそ、気を付けなければならない。
私と同様、ちょっとくらいの苦労をしても職能を上げたい!と思っている人は、それほど多くないのである。それなのに、私はついつい「親切心」で余計なことをしてしまう。
「これくらいの苦労で、これだけ得る物があるんだから、お得でしょう!ぜひ、取り組もう!」と苦労を押し付けてしまったり、「え!?そんな程度じゃ、大して得る物がないじゃないか!やるだけ無駄だよ!」と憤ってしまったり。

苦労の「多い・少ない」なんて測れるものじゃないし、状況によっても求めているものによっても許容できるかどうか変わってくるものなのだと分かってるつもりでも、どうしても自分の感覚で判断してしまう。これは周囲の人にとっては迷惑だ。反省したことも多い。
と言いつつ、ついでに毒を吐かせてもらえば、「あなたにとっては”大変なこと”や”無理なこと”であっても、その価値観にこっちが合わせる必要もないよね?」という場合だってあるのだ。お互い様である。ということで許して欲しい。

 

私のブログをわざわざ定期的に読みに来てくださるような方は、もしかしたら「苦労好き」ではないかしら。そして、私と同じような失敗をなさった経験をお持ちではないかしら。お互い気を付けましょう。