『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

仕事の仕方

初任の学校を出る時、ずっと面倒を見て頂いてきた先輩にこう言われました。
「nao_takaさんは、どこの学校に出しても恥ずかしくない教師に育ったよ」
わたしを育てて下さった方にそう言われて、感激しました。とても嬉しかったのを覚えています。
でも、今になって思うのは、後輩にこんな言葉をかけられる先輩って凄い、ということです。なかなか言えない言葉だと思います。わたしのことを本当に助け、育てて下さった恩人です。

2校目で先輩に教えて頂いたことで、もっとも心に残っているのは「仕事の仕方」です。
「nao_takaさんの教師としての仕事の仕方は、20代としては申し分ないよ。でも、あと数年後、それでは通用しなくなる時がくるからね。それまでに、付けておかなくちゃいけない力があるよ」
と言われました。それは何でしょうか?と聞いたら、
「俺を見て、分かって欲しいなあ(笑)」
と言われたので、それで「ああ、なるほど」と分かりました。
子どもの接し方や授業の仕方を変えなくてはいけない、ということだと思いました。その先輩は、そういったことが抜群に上手い先生だったからです。
この助言が、わたしにとって、非常に大きなヒントでした。この言葉があるから、今のわたしはやっていけています。

20代のウチは、子どもに対して「兄」のような接し方だったと思います。子どもと一緒に遊んだり、一緒にふざけたりしました。給食も一緒に食べました。男の子達は「先生、一緒に遊ぼう」と誘いに来ましたし、女の子達は放課後にはわたしの膝の上でおしゃべりをしたがったり、廊下を歩いていると手を繋いできたりしました。子どもとの距離はとっても近かったと思います。その分、見えていないことも沢山ありました。無駄な時間も随分あったと思います。
「若さ」故の無駄なパワーと失敗は数えきれず。それを許容したり、陰でフォローしたりして下さった先輩方あってこそ、やっていけたのだと今になって思います。

20代後半から30代になってくると、若さと勢いだけでは通用しなくなってきました。急に重要な仕事を振られたり、学校全体を動かしたりする事も増えました。そうなると「気のイイあんちゃん」的な言動では、子ども達は動いてくれません。ある程度の厳しさと広い視野が求められます。何と言っても、今まではやってこなかった「後輩のフォロー」という新しい仕事が増えました。自分のことだけで精一杯ではいられないのです。
子ども達がわたしに要求することも変わってきました。子ども達は「たまには一緒に遊んで下さいよ」と言いつつ、わたしを「尊敬できる対象かどうか」見ているなと感じます。
それなのに、子育てに時間をとられます。対外的な仕事もどんどん増えてきました。「え!?それ、俺の仕事ですか?」と言いたくても「nao_taka先生以外に誰ができる?他にいないでしょ?」と言われれば、やるしかありません。いや、むしろ、大変な仕事を任せて貰えないのも寂しく感じなくちゃいけない年になってきましたし。
ある程度の「力量」が求められるようになってきたことは間違いありません。先輩が教えて下さったのは、そういう状況に対応できるようになっておけよ、ということでした。これは、直ぐには身に付きません。準備をしておいて良かったと思います。
本当に、素晴らしい先輩に恵まれました。

同世代の仲間を見ると、この視点が欠けているな、と思う奴が沢山います。
「その仕事の仕方は、20代では通用しただろうけれど、もうそろそろ限界なんじゃないの?」
と言っても、分かって貰えません。「後輩」が居ない学校が多かったり、わたしのようには「先輩」に恵まれなかったり、といった要因が考えられます。まあ、原因は何であれ、30代半ばでも、20代若手教師のような仕事の仕方をしている人が多いことは事実ですし、40代でも少なからず居ます。当然、学級はうまくいかず、校務も滞ります。子ども達にとっても、教師にとっても不幸なことです。

ですから、わたしは自分が先輩に教えて頂いた「仕事の仕方」を、また誰かに伝えなくてはいけないなと考え、あちこちで話しています。
分かる人は分かってくれます。煙たがられることも当然あります。どちらにせよ、わたしは「伝える」という選択肢を変えるつもりはありません。