『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。2月に単著発売予定「流動型『学び合い』の授業作り」発売

ほとんど、妄想ですが

根拠の薄い(無いわけではありません。)私の妄想だが、今の教育と世の中の流れが進むと、日本が大きく分断されてしまうのだろうと危惧している。

英語もプログラミングも堪能で、誰とでもコミュニケーションが取れ、地域や日本の文化に精通し、基礎学力も高く、道徳性も十分に養われており、自分のキャリア計画もバッチリ。こんな人は、まさにスーパーエリートだよなあ。そういう世界と伍するエリートを育てることも、これからの日本ためには必要だろう。

しかし、そんなものに誰もが成れるわけがない。「そうじゃない人」がほとんどだ。そうじゃない普通の人々は、今後、どんな人生が待っているのだろう。現在でも日本は世界に類を見ないほどの「派遣大国」らしいが、今後も非正規雇用がどんどん増えていくだろう。教員だって非正規雇用が当たり前になるだろうし。現在の「教員不足問題」はその始まりだ。不足の穴埋めは非正規や非常勤の講師で行うだろう。この流れは、多分、既定路線。つまり、今後の日本では、教員程度の「中の上」レベルの仕事は、非正規化していくんだろう。現に、役場関係の仕事ではどんどん非正規雇用が増えている。正規雇用と言っても終身雇用が崩れているし。

繰り返すが、あくまで私の妄想だ。

 

妄想は、私は何を見据えて仕事をしていくべきなのだろうか、という話に繋がっていく。地方公立学校の教員としては、「地方から中央に打って出るエリートの育成」も視野には入れておきつつ、でも、そこをど真ん中には置きにくい。それよりも「普通」の人間が「普通」に生きていけるようにしたい。ただ、その普通の姿は、現状の普通とは異なると思っている。私が妄想している「将来的な、普通の人々の普通の生き方」とは「自分達で場を作る生き方」だ。自分達が働く場を自分達で作る。自分達が楽しむ場を自分達で作る。地方分権を越えた地域分権。生き方の個別化と協同化。そういう生き方である。

場を作るのは、私も苦手。難しい。でも、普通の人間でも、協同することでそれが可能になると思っている。そして、教室を、その「練習の場」にしたい。

 

でもね。最近感じるのは、世の中の流れは私が目指すものと真逆に向かっている、ということ。アクティブ・ラーニングという言葉が出てきたときには「時代が俺に追いついてきた」なんてふざけ半分に喜んでいたのだが、どうやら、勘違いだったらしい。むしろ、協同的な営みが苦手な子供が増えているから、アクティブ・ラーニングなんだな。それでも阻止できず、今後はますます増えていきそうな流れ。しかも、教員にも苦手な人が増えていきそうな予感。まずいよね、これ。

 

ということで、これからも流れに贖うように生きていくしかないのだな。まあ、それが私の生きる道、なのだ。