超利己主義
10日のエントリーのようなことを書くと、私があたかも聖人君子のようなキャラだと勘違いされるようだ。だが、そんなことを言ったら、私のことをよく知っている友人は大笑いするだろう。私は全くもってそんなキャラクターではない。
私は「私自身の幸せなど、どうでも良いのです。人々の幸せが、私の幸せなのです」なんて言いたいわけではない。私は、私の幸せが一番だ。私自身の幸せのために、とことん追求してみたら、「周囲の幸せが、私にも波及する」と分かったのだ。もちろん、100%じゃないけどね。
逆に言うと、周囲の不幸が私にも波及するのである。不幸な人を見捨てていると、自分にも悪影響を及ぼしかねない。だから、「一人も見捨てないことが得」なのだ。ただし、一人を助けるために他の人を不幸にしてはならない。不幸が波及する。例えば、「教え子のために家族を犠牲にする教員」は、一時的に自分は幸せかもしれないが、家族は幸せになれないし、それ故に、いつか教え子も不幸にするかもしれない。もちろんこれも、100%ではないけれど。
だから、私は可能な範囲内で、自分のつながりのある人々の幸せのために、やれることはやるのである。やれること、はね。
私が人の幸せを喜ぶのは、利己主義だからだ。しかも、超の付く利己主義。超利己主義は、計算高い利他主義になるのだろう。