『学び合い』 流動型『学び合い』 学びのカリキュラム・マネジメント アクティブ・ラーニング

nao_takaの『縦横無尽』

宮城県で働く小学校教員なおたかのブログです。『学び合い』(二重かっこ学び合い)を実践しています。単著「流動型『学び合い』の授業作り」を上梓しました。お手に取っていただければ幸いです。

継続させるには

『学び合い』を始めることは出来ても、なかなか継続することができない。
その理由が、段々と分かってきました。
まだスムーズに言語化することができないのですが、ちょっとずつ試みてみたいと思います。


『学び合い』を始める時には、多くの方々は「助け合う集団」を作ろうと考え、そのための指導を行います。
多くの場合、子ども達は「授業中に席を立って、友達に質問することや教えること」を「やってはいけないこと」だと考えています。また、勉強が苦手な子ほど、友達に「教えて」とは言えません。今までにさんざん傷ついているからです。(1年生だってそうです)そういった価値観を崩して、学び合えるようにするには、まずは「動ける子」を育てることが必要です。
そこで、教師はそういった状況を打破するために「教えることのメリット」を語ります。例えば、ラーニングピラミッドを示して「人は、他者に教えることで、理解が深まる。だから、どんどん教えよう」と投げかけたり、教師が一人で教えるよりもみんなで学び合った方が効率が良いことを説明したりするでしょう。
そうやって、仲良く助け合う学級作りを促すことは、多くの教師にとって、「やりやすい仕事」です。『学び合い』を始めようとなさる方々でしたら、「仲良く助け合うクラス」を作りたいという思いは、強く強く持っているでしょうから。


これを「助け合い型『学び合い』」と呼びましょう。


この助け合い型『学び合い』は、比較的簡単に実現可能です。4〜5人程度の小グループでの助け合いなら、よほど傷ついている子以外は、直ぐに成り立つでしょう。あまり仲が良くないクラスでも、消極的仲良し(本当は仲良くもないけれど、一人ぼっちは嫌なので一緒にいるグループ)ができているからです。
この状態から、教師が何度も何度も「教えるメリット」を語り続ければ、そこから一歩進んで、グループの壁を越えて教えに行く子が出現します。そうなる理由は簡単です。教師が求めて、それを敏感に読み取る子がいるからです。「全員達成」もチラホラ可能になってきます。
そうなると、教師は大喜び。『学び合い』を始めてよかった!と感じるし、ネット上で情報発信を始めたくなるのもこの時期かもしれません。


ただ、残念ながら、この「助け合い型『学び合い』」は、長くは続きません。
教師は「助け合え!」と求めていながら、一部の児童(大抵の場合は、いわゆる「上位児童」と呼ばれる子ですね)は、助けてばかりで、助けてもらえないからです。そういった子ども達は、苦しみます。頑張っても、頑張っても、先生には褒めてもらえません。自分は一生懸命予習もしてきているし、授業でも教えているのに、宿題もやってこないような子が授業の中で分からないと「見捨てている」ことになってしまいます。どうすればいいのか…。そうやって苦しんでいる我が子の姿を見て、保護者さんの不信感は増すばかり。ご家庭とご家庭の間で、携帯メールが飛び交います。知らぬは教師ばかりなり。嗚呼…。


こういった問題は、どうして起こるのでしょうか。
わたしの予想ですが、それは、多くの教師が、わたしが昨日のエントリーで書いた「縄文レベルの学級」のイメージで学級作りを行っているからではないでしょうか。縄文レベルの学級では、一部の児童の頑張りで、行事を成功させます。運動会で活躍する子や、学芸会でピアノ伴奏をやる子など「主役」として大活躍する子がはっきりしている場合がほとんどです。(主役は一人とは限りません。大抵の場合は複数でしょう)
これと同じように、助け合い型『学び合い』でも、主役=教え役がはっきりしたまま、固定的になってしまうのですが、教師は今までの自分の常識から、「それでも良いのだ」と考えてしまうことが予想されます。だって、運動会や学芸会などでは、大活躍した子も親も、大喜びでしたから。子ども達の苦しみにも、親の不信感にもなかなか気付けないのです。


え!?そんなことはない?教える・教えられるの関係は、教師が思っているような固定的な関係ではない?
教えることは「徳ではなく、得だ」?


はい。そうです。
でも、それは、「助け合い型『学び合い』」を脱却し、次の段階へと進んだ時の話です。


じゃあ、次の段階とは?



ここまで書いて、ふと疑問が。
この話、皆さんの興味関心はあるのだろうか?
長過ぎて、不安です。


続きは気が向いたら!


というわけで、つづく。(のか!?)