私は基本的に「子供たちが自分で選べる」ことを大切にしています。学び方を自分で選ぶ、誰と学ぶかを自分で選ぶ、どこで学ぶかを自分で選ぶ、そして、時間割も選べるようにしてあげたいと思っています。少し前に取り組んだその実践を、この本に書きました。
私は「子供たちは、自分で選びたいはずだ」と思い込みがち。私自身がそういう子供だったし、我が子もそうだから。でも、それを喜ばない子もいることを忘れてはいけません。自分で選ぶのは苦しい。誰かに決めて欲しい。そう考えている子がいるんです。しかも、私の感覚だと、子供に限らず、そういう人がどんどん増えているようです。
その背景には、新自由主義と自己責任論があると考えています。世の中が失敗を許さない。その中で生きていると、自分で責任を負わない生き方、問題を先延ばしにする生き方が広がっていくのは仕方ないでしょう。教員の世界だって、「スタンダード」が定められたことで、ホッとしている教員が多いのではないでしょうか。文句を言う人のほとんどは、自分の今までのやり方を変えたくないだけで、新しい地平を切り拓きたいわけではありません。このブログを定期的に読んでくれているような人は、変わり者でしょうから、スタンダードの広がりを足枷だと感じているかもしれませんが。
子供たちも同じようなものだとすると、自分で選びたい子の方が少数派で、誰かに決めて欲しい子の方が多数派な可能性が高いのかも。だから、私も「4月は高橋先生の言うことが信じられなかった」「変な先生だと思った」とよく言われます。
それに、『学び合い』を続けていても、「先生に決めて欲しい」「もう少し先生に助けて欲しい」という声は度々聞こえます。こういう時には、私も悩みます。そして、ブレます。元々、子供たちのために汗をかくのは嫌いじゃありません。だから、思わず私があれこれやってしまいがち。
が、そうすると、クラスがうまく回らなくなります。今まで引っ張ってくれていた「自分で決めたい子」が引っ込んでしまうからです。
子供たちは一様ではありません。その間でうまく「バランスをとる」と言うのは簡単ですが、それもまた難しい。「どちらも大事」なんて言っていると、失敗します。私は思い切り「自分で決める」方に舵を切ってしまっているわけですが、それもまた、苦しいものです。だから、『学び合い』は難しい。。。
最近はそこに、子供たちとは別に、プラスαのバラストが加わっています。いやあ、これがなかなか大変で。ちなみに、この話は、2月の札幌でお話しするつもりです。