教育に絶対に必要なものは何か。
私は、愛だと思っている。子供たちを愛せないと、この仕事はだんだんシンドくなるよなあ。愛せない人と、何時間も一緒に過ごしたら、苦しくなるに決まっている。
というようなことを以前書いて、
「上手くいっていない人は、愛が足りないというのか!」
とお叱りを受けたことがある。私は冷たい男なので、
「はい」
と答える。「私は十分に子供たちを愛せている」なんて人がいたら、信用しない。「お前は愛が足りない」と言われたら、認めざるを得ない。愛が不可欠だと思っているからこそ、自分が聖人君子のように無限の愛に満ち溢れていないことを認めるしかない。だから私は日々悩んでいる。日々苦しんでいる。日々学んでいる。愛は、育めるものだ。しかも、教員の愛情は、期間限定・時間限定なのだから、担任している間、勤務していいる間は、精一杯愛するのだ。
ただ、昔と変わった点もある。子供たちを愛せない人に、怒りが沸かなくなった。以前はしょっちゅう怒っていたなあ。最近になって怒らなくなった理由は、自分に人を責める資格などないと分かったから、というのが一つ。そして、もう一つは、ある程度の余裕がないと、愛が枯れていくのだと分かったから。余裕のない現代の学校の中で、失われていく愛情の何と多いことか。愛って、無限じゃないからね。
それでもやっぱり、教育は愛だと思っている。もちろん、家族の愛情や恋愛の愛情とは全く別もの。自分が担任している間も、担任から外れた後も、子供たちの幸せを心から祈る、そういう教員としての愛というものがあるのだと思っている。
こんなことを書くと、嫌がる人がいっぱいいることは分かっているけれど、でも、そう思うんだから仕方ない。もちろん、異論反論は大いに認めるけれど。